Re: 迷走! 闇鍋劇場!(完結・ひなゆめより再掲) |
- 日時: 2013/06/02 17:44
- 名前: 餅ぬ。
【もしも、あのときあんなことを言わなければ】
「ハヤテ! マリア! 鍋するぞ、鍋!」
――意気揚々とお嬢様の口から放たれたその言葉が、すべての始まりだった。
なぜ夏休みが終盤に差し掛かった、暑くてたまらないこの時期に鍋なのか。そもそも、なぜお嬢様は鍋ごときでこれほど興奮しているのか。 台所の掃除をしていた僕とマリアさんは、お嬢様の奇行に首をかしげた。
「ほら、何してるんだ! はやく用意してくれ! 私はこの鍋パーティに参加する人間を集めてくるから!」 「え、僕たちだけでやるんじゃないんですか?」 「ああ。これを忠実に再現するには、仲間が必要不可欠だからな!」
そう言ってお嬢様が僕とマリアさんに見せつけてきた、一冊の漫画本。その漫画を見た瞬間、マリアさんは何か納得したかのように「ああ、それですか」と呟いた。 わけがわからないまま、僕はお嬢様から手渡された漫画に目をやる。漫画の表紙には、白髪の少年と黒髪の少女のシリアスな顔とカッコつけたポーズが描かれていた。 絵柄からするに、シリアスなバトル系だろうか。お嬢様にしては、なんだか無難な漫画だな、などと思いながら漫画のタイトルを確認する。
『迷走! 闇鍋劇場!』
……見間違いだろうか。なんだかすごくふざけたタイトルが見えた気がした。 闇鍋? いやいや、絵柄的にありえない。だって、この少年が持っているのはどう見たって二槍だし、それに女の子だった大きな盾のようなものを構えているわけで……。 この表紙からして、今のタイトルはありえない。きっと、昨日ハバネロを余っていたおはぎに突き刺して食べるなんていう暴挙をしたから、こんな幻覚を見たんだ。 食い合わせが悪くって、目に毒が回ってたんだよ。きっと。そうに違いない。もう一度、タイトルを見てみよう。きっと、まともなシリアスちっくなタイトルに戻っているはずだ。
『迷走! 闇鍋劇場! 〜怒涛の闇鍋将軍編その壱〜』
なんてことだ、もっと酷くなっている。そんなに僕は疲れているのだろうか。 いや、現実を見ようじゃないか僕。これはもう幻覚とかそういうレベルじゃない。はっきりとそう書いてあるんだ。 ああ、よく見てみれば少年の持っている二槍がなんだかお箸っぽい。 それに少女の持っている大きな白い盾。よく見れば取り皿じゃないか。なんだろう、この混沌っぷりは。
「……これは……?」
お嬢様の自作漫画『マジカル☆デストロイ』と肩を並べてもおかしくないほどの、凡人には理解できないオーラを放つこの漫画。 僕は自分で考えることを放棄し、お嬢様に真相を尋ねた。
「知らないのか? まぁ、個人誌だし仕方ないか……。 これはだな、私にとって一・二を争う思い出深い漫画なんだ。私が漫画を描き始めたのも、この漫画の影響からだと言っても過言ではない。 このシリアスな絵柄に不釣り合いな、世界最高の鍋を作るという目的の元集まった主人公とナベリスト(鍋を極めし者たち)! 彼らの最高の具材を求めての全国行脚を壮大なスケールで描いた全十五巻の超大作だ! 最終章である、闇鍋将軍とのポン酢飛び散る戦いは、あまりにも暑苦しくて夏場には読めないほどの臨場感なんだぞ! だが、私は今それを我慢して読み切ってしまったんだ。そして、決意した。
私もナベリストになるんだと!」
そう高々と宣言するお嬢様を、僕はただ眺めることしかできなかった。僕のような貧乏凡人がついていける次元ではないのだ。 背後にメラメラと炎を浮かばせながら、お嬢様は未だに迷走! 闇鍋劇場! の素晴らしさについて語っている。 聞いてあげたいのは山々だが、それについて行けるだけの脳の容量を、僕は持ち合わせていない。 心の中でお嬢様に謝りながら、呆れ顔を浮かべているマリアさんに話しかけた。 先ほど、マリアさんが呟いた、「それですか」という一言が気になったのだ。きっと、過去にも似たようなことがあったのではないかと、僕は推測している。
「マリアさん、あの漫画のこと知ってたんですか?」 「ええ、ハヤテ君が来る前、二回ほどありましたから。同じような出来事が。 でも、その二回とも鍋を作る段階で断念してしまって……。黄金の白菜がないとダメだとか、虹色フグの肉じゃないとダメだとか……。 さすがにもう付き合いきれなくて、二年前に本棚の奥の奥にあの漫画を封印したはずなんですが……。まさか見つかるなんて……」
ため息をつくマリアさんを見て、今お嬢様がやろうとしている鍋は危険かつわけのわからない謎の鍋だということを察した。 僕はお嬢様の喜ぶ顔を見るのが、何よりも嬉しい。けれど、さすがに黄金の白菜やら虹色フグなんてものは無理だ。叶えられない。 ここは、どうにかしてお嬢様の興味を鍋からそらせなくてはいけない。
「お嬢様っ! 鍋は危険です! やめましょう!」 「え? もうみんなに鍋やるって連絡してしまったんだが……」
ああっ! なぜこういうときに限って無駄な行動力を発揮するんだこの人は! HIKIKOMORIお嬢様のまさかの行動力に、僕が頭を抱えていると、ふと何かを疑問に思ったのかマリアさんがお嬢様に尋ねた。
「だれに連絡したんですか? 今日は、伊澄さんも咲夜さんもお出かけしてるそうですが……」 「言っただろ? これはただの鍋パーティじゃないんだ。迷鍋!(迷走!〜の略)の再現なんだよ。 だから、今回呼んだのは迷鍋! に出てくるキャラに似ている人々……ヒナギクと生徒会三人組を呼んだのだ!」
意外なメンツに、僕とマリアさんは顔を見合わせた。まさか、お嬢様がこういったことに白皇の方々を呼ぶなんて。 お嬢様が人を呼ぶとすれば、伊澄さんか咲夜さんぐらいであって、それもかなり少ない頻度でしか呼ばない。 そんなお嬢様が、学校でしか面識のないはずのメンバーを屋敷に招くなんて! これは、一つの脱・ひきこもりのチャンスかもしれない! ヒナギクさんや、瀬川さんといったクラスメイトたちと仲良く鍋を囲んで、クラスメイトという友人の良さを知る。 そして、いつしか自分から学校へ行くようになり、輝かしい未来が開かれる……! うん、完璧だ!
「お嬢様、やっぱり鍋やりましょう!」 「おお! わかってくれたか、ハヤテ! じゃ、ヒナギクたちが来たら、伝説の百本足蟹を取りに行くぞ! 伝説の鍋を作るには必要不可欠だからな」
……ダメだ! やっぱりダメだ、こんな危険極まりない鍋! それも、僕だけならまだしも、ヒナギクさんたちにまで被害が及ぶ! でも、この鍋を中止してしまったら、せっかくのお嬢様の輝かしい未来への道が閉ざされてしまうわけで……。 ここはお嬢様の執事として、お嬢様の興味を伝説の鍋作りを削ぎつつ、鍋は実行させないといけない! でも、そんなこと可能なのだろうか。お嬢様の目的は、伝説の鍋とやらにあるわけで、普通の鍋には興味がない。いかにして、伝説の鍋を諦めさせればいいのだろうか……。 悩んでいると、ふいに手に持っている迷鍋! のことを思い出した。そして、もう一度その表紙に目をやる。
『闇鍋』
そうだ! 闇鍋だ!
「お嬢様、伝説の鍋を作るより、闇鍋をしてみませんか?」 「む? 闇鍋は将軍の名前だろ? そんな闇鍋なんてものがあるわけ……」 「あるんですよ、それが。鍋の一つの楽しみ方として」 「本当か!? それはどんなものなのだ!?」
予想以上にお嬢様が食いついてきた。あとは、僕の口次第。
「闇鍋というのはですね……――」
僕は雄弁に語った。闇鍋の引き起こすスリル、そして驚き、驚愕、阿鼻叫喚。少々大げさに言いすぎた気もするが、別に支障はないだろう。 僕が一通り語り終えると、お嬢様は呆然と僕の顔を見つめた。なぜかマリアさんも呆然としていた。マリアさんも知らなかったらしい。
「漆黒の闇の中で、何が入っているかわからない恐怖の鍋をつつき合う……。 これは、まさに闇鍋将軍との最終決戦の舞台そのままではないか! そうか、だから闇鍋将軍は闇鍋だったんだな……」
そう言うお嬢様の目は爛々と輝いていた。もう、伝説の鍋よりも闇鍋に夢中になっているようだ。
「でも、ハヤテ君……。食べられないものとか入れたら、危ないんじゃ……」 「大丈夫ですよ、さすがにそんなものは入れません。入れたとしても、ちょっとしたゲデモノぐらいです」
僕がそう言うと、マリアさんは安心したように胸を撫で下ろした。安心したマリアさんの顔は、少しだけ楽しそうな表情が浮かんでいた。 マリアさんも、お嬢様ほどではないけど、鍋が楽しみなのだろう。
「じゃ、さっそく準備をするぞ! マリア、確か和室あったよな?」 「ええ、奥から三番目の部屋が和室ですよ。……あ、あと土鍋も必要ですね。これ、使いましょうか」
そう言ってマリアさんが取り出したのは、桐の箱に入れられたお高そうな土鍋。高級品を惜しげもなしに使っているこの三千院家でこの扱い。かなりの値段と見た。 お嬢様も、その土鍋を見て少し驚いた表情を浮かべている。どれほどの値段がするのか、僕には想像もつかない。
「マリア……それ、使っていいのか? すごく大切にしてたんじゃないのか?」 「ええ、大切よ。けれど、こういうものは使うことに価値があるんです。ぜひ、使ってください」 「ああ、大切に使わせてもらうよ」
そう言って、お嬢様はマリアさんから土鍋の入った桐の箱を受け取った。 マリアさんの大切な品。傷つけたり割ったりしたら、そりゃ恐ろしいことになるのだろうな、と僕は二人を眺めながらしみじみと思っていた。
「うわっ!」
マリアさんの手が、土鍋から離れた瞬間、土鍋の重さに耐えられなかったお嬢様の手が滑った。 割れる! 瞬間的にそう思い、土鍋を地につけまいと手を伸ばそうとした瞬間。マリアさんが目にもとまらぬ速さで土鍋を助けた。 僕が早さで負けた……。そんなショックを受けるよりも、マリアさんの意外な素早さに驚いていた。 呆然とする僕とお嬢様に向けて、土鍋を大切そうに抱えたマリアさんがにこりと笑いながら言い放った。
「……盛り上がるのはいいですけど、割ったりしないでくださいね♪」
語尾の明るさが、異様に怖かった。僕もお嬢様も、無言でコクコクと頷くことしかできなかった。 多分、この鍋を傷つければ最後、僕たちはマリアさんの逆鱗に触れるに違いない。ああ、考えただけでも恐ろしい。
「あっ! そういえば、野菜があまりありませんね。ちょっと買ってきますから、お鍋の準備お願いしますね、ハヤテ君」 「はいっ」 「ナギ、普通の野菜でいいわよね?」 「はいっ、かまいません!」 「あら、敬語を使うなんてナギらしくありませんよ。それじゃ、行ってきますわ。 ヒナギクさんたちが来たら、先にはじめててくれてもいいですから」
そう言い残して、マリアさんは軽い足取りで台所から出て行った。 残されたお嬢様と僕は、それぞれの心に鍋を傷つけないことを誓いながら、和室へ向かった。
「闇鍋、楽しみですね」
和室へ向かう途中、無言に堪えられなくなって、お嬢様に話しかけた。 『闇鍋』という単語を聞いて、お嬢様の顔は一気に明るくなる。こういうところが、まだ子供っぽくてなんとも可愛らしい。
「やるぞー! 闇鍋!」 「はい!」
これから始まるスリル満点の闇鍋に思いをはせて、僕とお嬢様は笑い合った。 どんなものを入れようか、そんな純粋な意地悪心がなんとも心地よい。驚く瀬川さんたちの顔を想像すると、どうも顔がほころんでしまう。 それはお嬢様も同じのようで、ニヤニヤと微笑みを浮かべていた。 僕も、お嬢様も、今までにないこのワクワク感に酔いしれていたのだ。
――このワクワク感が、このあと来る二人組によってただの恐怖へと変わるのだ。
――ああ、このとき、僕が闇鍋をしようなんて、言わなければ……。
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