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タイトル第6回お題:はじめて (2008/3/3〜3/30)
記事No35
投稿日: 2008/03/03(Mon) 02:10
投稿者双剣士
参照先http://soukensi.net/ss/
お題SSに取り組む前に、以下のルール説明ページに必ず目を通してください。
http://soukensi.net/odai/hayate/wforum.cgi?no=1&reno=no&oya=1&mode=msgview&page=0

なにか疑問などがありましたら、以下の質問ツリーをご覧ください。
そして回答が見つからなければ、質問事項を書き込んでください。
http://soukensi.net/odai/hayate/wforum.cgi?mode=allread&no=2&page=0

------------------------------------------------------------------

「はじめて」をテーマにした物語を投稿してください。
さまざまな解釈ができると思います。あなたは何を連想しましたか?

【条件1】
元ネタは「ハヤテのごとく!」に限定します。
オリジナルキャラは、物語の主役やキーパーソンにならないレベルでのみ
登場可能とします。

【条件2】
えっちなのは禁止です。

タイトルFirst...
記事No45
投稿日: 2008/03/23(Sun) 00:46
投稿者Len
ぼくは若干、ロリータコンプレックスの気があるのかもしれない。

ロリータコンプレックスとは、幼女を意味するロリータと情緒的に強く色づけされた表象の複合と定義されるコンプレックスの和製英語だ。
ロシア生まれでアメリカの作家ウラジーミル・ナボコフが、1955年にパリで出版した『ロリータ』からきてるらしい。

……もうここまででかなりアブナイ人だが、それは致し方ないというものだ。
だって、事実なのだから。
ぼくは、ロリータコンプレックス気味なのだから。
完全にロリータコンプレックスかと言うと、それもまた違うのだろう。
ぼくは若干だ。若干、ロリータコンプレックスなのだ。

それで、ぼくが情緒的に強く色づけされた表象の複合を感じる対象は誰なのかというと、校庭で元気一杯に走り回っているあの女の子だ。
クラスのみんなからは“ユキちゃん”や“ゆっきー”などと呼ばれている。名を雪路という。
今は友達と鬼ごっこをしているようだ。彼女は足が速いので、なかなか捕まえられずに鬼が困っている。
鬼役の薫くんが全力疾走するも、雪路には届かない。仕舞いには転んでしまった。
雪路は心配そうな面持ちで薫くんに寄り添い、声を掛けていた。お約束だが、そのとき雪路は薫くんにタッチされた。

卑怯な手を使われて半泣きの雪路を遠目で眺めながら、机上の書類を書き上げていく。


「んんー。娘欲しいなぁ」

「大丈夫ですか桂先生」

間髪入れず、隣席の同僚の教師に言われた。

「大丈夫だよ失礼な。ぼく程まともな人間はいないからね、うん」

「大丈夫ですか桂先生」

「そもそも、ただ娘が欲しいと言っただけじゃないか。ぼくだって娘の十人や二十人、欲しがったっていいじゃないか」

「大丈夫ですか桂先生」


なかなか失礼な同僚だった。
ぼくも大概だが。

これが、ロリータコンプレックスに対する世間一般の目か……。
ちょっとショック。

だけどプリンセス○ーカーは記録的大ヒットだったし、娘が欲しい男性は珍しくないんじゃなかろうか。
週刊誌か何かで、「未婚の父が急増中!」なんて書いてあったこともあるしなぁ。


「そこんとこどう思う?」

「MSXなんて持ってないです」

「あの名作を買ってないだなんて!」

「そろそろ休み時間も終了しますし、妄想に耽ってないで次の授業の準備でもしたらどうですか」

「んんー、次の算数は保健体育に変更しようか」

「黙れペド野郎」

「…………。」


同僚のぼくを見る目は、汚物か何かを眺める視線だった。
てゆーか、ペドって言うな。


「冗談は置いといて。そろそろ教室に行くかな」

「冗談だったんですか。てっきり本気だったのかと」

「ん? え、あ。うんまあ」

「曖昧な返事……」

何をそんなに心配しているのか、同僚はぼくを犯罪者予備軍とでも思っているのだろうか。

「予備軍ではなく本軍なのでは」

「んんっ? ぼく、声に出してたかな?」

「桂先生の考えていることは大体分かります」

てっきり、読心術か何かを会得しているのかと。

「ぉお。なかなか分析されているね、ぼくも。キミがそんなにぼくを見ているとは知らなかったよ」

「……別に、ずっと見ているわけではありません。寝言は睡眠時に、譫言は発熱時にお願いします」

「んんー。ちょっと熱があるみたいだから、看病してくれないかな?」

「保健室へ行って下さい」

「…………。」


本当、素っ気無いなぁ。
それにしても、この『素っ気無い』というのは、なかなかどうしてセンスに欠ける。何か他にないのものか。
冷たいという意味でのコールドを使ったらどうか。いや――クール、の方が良いかもしれない。

この同僚のような性格のことを、『クールキャラクター』と呼ぶ。
――すげぇ。大ヒットだよ。十五年後くらいに絶対流行るよ。

クールキャラクター。クールっ娘。クールちゃん。
うんうん。いいねいいね、素晴らしいね。


「何かとても、失礼なことを考えているようですが……」

「キミはクールだなぁ」

「格好良い、という意味ですか」

「……天然なのかもしれない」

「意味が分かりません。そろそろ授業開始五分前のチャイムが鳴ります、さっさと教室へ向かわれたらどうですかペド野郎」

「クールなんかじゃなくて、ただ口が悪いだけなのかもしれない……」

「事実を口にしたまでです。『ペド野郎』という俗称について、何か異論があるなら別ですが」

「せめて略さずにペドフィリアと呼んでくれないか」

「却下します」

「キミはクールだなぁ」

「褒め言葉として受け取っておきます」

同僚は席を立つと、名簿とチョーク入れと国語の教科書を持って職員室の出口へ向かう。

「桂先生。次の職員会議で、『生徒に手を出す教師への対策と処罰』を提案してみたいと思います」

「御免なさい済みませんもうしませんから許して下さい」

「…………。」

同僚は胡散臭そうな顔をして、ぼくの席に戻ってきた。

「最近、保護者の方から苦情が増えています。冗談ばかり言ってないで――聖職者なんですから、きちんとして下さい」

「ん――はい。分かりました」

ぼくの素直な返事に満足したのか、肩を竦めて出口へ向かう同僚。

「さて、ぼくも教室へ行くかね。えーっと、保健体育の教科書は――」

「次の授業は算数ですよペド野郎」

「冗句だよ。んんー、キミは欲しいところに欲しい突っ込みをくれるねぇ」

「人を芸人みたいに言わないで下さい」


ぼくは、名簿とチョーク入れと算数の教科書を持って立ち上がる。
同じ学年を担当しているので、同僚と途中まで一緒に行く。


「しかし、あれだね。職員室から教室がこれ程まで遠いというのは、改善すべき問題だよねぇ」

「そうでしょうか。そんな運動不足の中年男性みたいなことを言わないで下さい」

「いやいや。子供達のことを考えてだね」

「今さっき『職員室から』と言いましたよね。それは教師の立場からの要望であり、生徒達のことを配慮していたとは考えにくいです」

「鋭いねぇ、キミは」

小学校は体育の授業も担任が受け持つので、別に運動不足というわけでもないが――やはり疲れるものは疲れる。

「ところで、今日の給食はちょっと物足りなかったよねぇ」

「そうでしたか? わかめ和えご飯、和風ハンバーグ、ホウレン草のお浸し。味にも問題はありませんでしたし、栄養面も生徒達の健康を考慮されていました」

「三品じゃ喰い足りないって駄々を捏ねる、腹っぺらしがいるんだよ、ぼくの組には」

「食べ盛りですし、それはそれで健康ということでしょう。それでも足りない場合は、おかわりをさせれば宜しいのでは?」

「ハンバーグは人数分しかないし、ご飯は均等に分けた。ホウレン草のお浸しはいっぱい余ってたんだけど、それだけじゃねぇ」

「……それで?」

「ふと思ったんだけど――チョークって、」

「食べられませんよペド野郎。生徒に炭酸カルシウムを食べさせようとしないで下さい」

「鋭いねぇ、キミは」

「再教育センターへ行ったらどうですか」


かなり酷い扱いだった。同僚のぼくを見る目は、産廃か何かを見る視線だった。
そうこうしてるうちに、教室へ着いた。


「さて、お互い教務を真っ当しますかね」

「次の授業は算数ですよ桂先生」

「釘を刺さなくても分かっているさ。そんなに信用無いかな、ぼくは」

「無いですね」

即答一閃。紫電の如く、ぼくの質問を一刀両断した同僚。

「では、そろそろチャイムが鳴ってしまうので」

「キミはクールだなぁ」

「褒め言葉として受け取っておきます」


すたすたと足早に、自分のクラスへ行ってしまう同僚。
基本的には、良い奴だと思いたい。人当たりも良いらしいし、子供達からの人気も高い方だ。ぼくにだけクールなのだが。
なんでぼくにだけなのか。何か怨みでもあるのか。あれか、ぼくがロリータコンプレックス気味だからか。
ロリータコンプレックスに対する世間の目は冷たい。まさに、クール――いや、コールドなのだった。

ぼくは教室のドアに挟んである黒板消しトラップを解除して、教室へ入る。


「ちぇー。また引っ掛かんなかったかー」

「かつらせんせい、ボケてるから引っ掛かると思ったのにー」

「んんー。なかなか巧く仕掛けられていたね。今度はもっと工夫してみなさい」

「「「はーいっ!」」」


明日はもっと注意深く、教室に入らねばならないと思った。

ぼくが算数の授業を進めていると、矢庭にきゅるるるる〜という音が聞こえた。
一斉に大爆笑が起こり、その音源の少女は顔を真っ赤にしていた。


「だっ、だって給食少なかったんだもんっ!」

「オレのわかめご飯半分喰ったクセに……」

音源は雪路、雪路にタカられたのは薫くんだった。

「かつらせんせー! 何か食べ物持ってないのー?」

「よし。じゃあこのチョークをあげよう」

ぼくは白いチョークを差し出す。

「えぇー! チョークって、食べ物じゃないよ!」

「んんー、知らなかったのかい? チョークは食べられるんだよ」

どよどよと教室に衝撃が奔る。中でも雪路の驚きっぷりは半端無かった。

「キミのようにお腹を空かせた子供が、間違って食べたら危ないだろう? だから、口に入っても大丈夫なように食べられるのさ」

「そ、そうなんだー! ねぇねぇ、チョークって美味しいの!?」

「もちろん。白色はバニラ味、赤色はいちご味、黄色はチーズ味になってるよ。レアな青色もあるんだけど、先生は持ってないんだ」

「あおいろは何味なの!?」

「青はぶどう味だね。作っていく手順の中で、ぶどうの紫が青に変わっちゃったんだ」

「わぁ……せんせい、三個ともちょーだい!」

きらきらと目を輝かせて、まんまと騙されている雪路。というか、雪路だけしか騙されていない。

「キョウくん! キョウくんも食べたい?」

薫京ノ介は、雪路から『キョウくん』と呼ばれている。呼ばれる度に仄かに赤面している薫くんは、まだまだ青いなぁ。

「雪路……お前、そろそろ気付けよ」

「? 何が?」

「さぁ。じゃあこの問題が解けたら、チョークをあげるよ。しっかり考えてみよう」

「もう解けました!」

「……そのやる気を、いつも見せて欲しいものだね……」


雪路のノートを見る……答えは合っていた。
……どうしようかなぁ。


「薫くん。どうしたらいいと思う?」

こそこそと薫くんに耳打ちする。

「どうもこうも、先生の嘘が原因じゃないですか」

「それはそうなんだけど、まさか雪路にこの問題が解けるとはねぇ」

「それはオレのをカンニングしただけですから、それを言えばなんとか言い逃れ出来るんじゃないですか?」

「ぉお。ナイスアイディアだ薫くん」

びしっ、と軽快にサムズアップして、薫くんから離れる。

「かつらせんせい、早くチョークちょうだい!」

「薫くんから聞いたよ。キミ、薫くんの答えを見たそうじゃないか。ダメだよそんなことしちゃあ」

「ちっ……。キョウくん、なんで言っちゃうのさ」

「お前が腹壊すよりはマシだと思ってな」

「あたしがお腹壊す? なんで?」

「チョークは食べ物じゃないぞ。そんなことも知らないのか」

「えー? だってかつらせんせいが言ってたよ、子供が食べたら危ないから食べられるようになってるんだって」

「んんー。それ、嘘なんだなぁ」

もう面倒だ。雪路が何かの間違いで教師になった時、生徒に同じ嘘をつくといけないから、そろそろネタばらししよう。

「なっ……!? せっ、せんせーのバカぁ!! またせんせーが嘘ついた! ウソツキはドロボウの始まりなんだよっ!」

ノートやら鉛筆やらを投げてくる雪路。その様子を見て、クラスメートは腹を抱えて笑っている。笑いすぎてお腹を壊すかもしれないな。

「さて、この問題の解き方は」

「そしてなんにもなかったみたいに授業に戻んないでよバカ!」

「次の問題は薫くんにやってもらおうかな」

「答えは1/3です」

「せんせいもキョウくんもひどいよ! ばーかばーか!」

「バカバカ言うなバカ」

「バカじゃないもんバカって言った方がバカだもん!」

「最初に言ったのお前じゃん……はぁ」

呆れた様子の薫くんは、ポケットからチロルチョコを取り出した。

「これで我慢しろバカ」

「え……く、くれるの? わーい! 有り難う、キョウくんっ!」

「……お前の腹の虫がうるさいから、勉強に集中出来ないんだよ」

はしゃぐ雪路と、赤面する薫くん。若いっていいよなぁ。

「薫くん、学校にそんなもの持ってきちゃダメだよ」

「いつの間にかポケットに入ってたんです。誰かが近づいた時に、入れられたのかもしれませんね」

「ふーん。それなら、見逃してあげようかな」


薫くんが怜悧な子で良かった。これでようやく授業がちゃんと進む――と、安堵した矢先。
キーン コーン カーン コーン、なんていう間の抜けたチャイムが、五時間目終了を報せた。
おいおい……。チョークの話で随分時間を喰っちゃったなぁ。


「しょうがない……算数はこれまで。みんな、ちゃんと予習してくるんだよ?」

「「「はーいっ!」」」


ドアを開けたところで、同僚の先生がいた。
肩に明らかな黒板消しの跡が付いて、って……おいおい、小学生にハメられるなよ。


「…………何か」

「チョークって美味しいよね」

「黙れペド野郎」

すげぇキツい目で見られた。仕方ないので、ちょっと好感度を上げておこう。

「ちょっと待ってて」

「はい?」

内ポケットからハンカチを出すと、水道で軽く濡らした。ちゃんと絞って、同僚の肩を拭いてあげる。

「なっ……!? か、構わないで下さい! 自分でやりますからっ」

「んんー。はい、完了。ちゃんとキレイになった」

「あ……」


こんな狼狽した同僚は始めて見たかもしれない。
おろおろして落ち着かない同僚だが、顔を背けながら「有り難う御座いました……」とお礼を言ってくれた。

そんなこんなで、帰りのホームルーム終了後、職員室の自分の机で帰り支度をしていると。


「かつらせんせー。いっしょに帰ろうよー」

と、職員室に雪路がやってきた。

「や、やぁ雪路」

「…………。」

同僚の視線が痛過ぎた。なのに、雪路が迎えに来てくれて舞い上がらんばかりに喜んでいる自分がいる。

「どうして急に、ぼくと一緒に帰ろうと思ったんだい?」

「キョウくんが、そんなに腹減ってるなら先生に美味しいものご馳走してもらえって! ママがご飯作ってくれるし、お腹一杯になっちゃダメだから、アイスがいいなー」

薫くん……。薫くんには借りがあるし、仕方ない……か?

「では、私はお先に失礼しますねペド野郎」

「ぁあ! せっかく上げた好感度が秒単位で暴落していく!」

「…………フケツ」


ぷい、と顔を背けて、同僚は帰ってしまった。
雪路と一緒に帰れるのは喜ばしいんだけど……なんか、素直に喜べない。

というか、職員室だと他の教員達の視線も痛い。さっさと支度して、この場を後にしよう。


「じゃあ、ぼくも失礼します。さようならー」

「せんせーさよーなら!」


逃避もいいとこだったが、まぁ、致し方ないよね。

帰り道、ぼくらは並んで――こうしてると、やっぱり父子に見えるんだろう――今日あったことを話している。
中でもチョークのことはまだ怒ってたが、アイスを奢ってあげたら機嫌はすぐに直ったのだった。現金なヤツめ。


「「さいしょはグー! じゃんけん――ポンっ!」」


で、今は何をしているかというと。
じゃんけんで負けた方が荷物持ち、という幼稚なゲームに巻き込まれてしまった。
そりゃ、ぼくのバッグを持たせるワケにもいかないし、かといってランドセルを持つのもイヤなので、じゃんけんに勝利しゲームをチャラにするという作戦に出た。

ぼく、グー。
雪路、パー。


「やーいやーい負けてやんのー! はい、せんせいヨロシクねーっ」

「なんでお前のランドセルには習字道具はおろか、置き傘やら手提げ袋やら体育着やらがぶら下がってるんだ!」

まさかこれを狙ってぼくを誘ったのか! ちくしょう小学生にハメられたっ!

「せんせいよわーい! ダサーい!」

「黙れロリータ! クソ、まさか負けるとは!」

「いつもはキョウくんに持ってもらってるんだけどね、今日はキョウくん、クラブなんだって」

「薫くん……」

同情を禁じえなかった。彼も、苦労人なんだな。惚れた腫れたってヤツか。

「せんせい、あたしのランドセル、重い?」

雪路がバカにしたような上目遣いで訊いてくる。

「重い。重過ぎて肩が外れる」

「おんぶして?」

「人の話を聞け!」


ハチミツを垂らしたような金色の夕焼けに、真っ黒なカラスが羽撃いている。
踏み切りのカンカンカンという電子音が閑静な住宅街に鳴り響き、ぼくらの会話をかき消す。

ぼくは今、“親子”というものを体感している気がする。
夕方、仲良く手を繋ぎ一緒に家へ帰る親子。親も子も幸せそうな笑顔で、鼻歌でも歌いながら歩く。

そんな姿を、夢想した。
有り得ないのに、ぼくと雪路は親子じゃないのに、そんな姿を、夢想した。


「……雪路」

「ん? なぁに、せんせい」

「お母さんとお父さん、好きか?」

「――うんっ。大好きっ!」

「……そうか。よかったな」

やっぱり、ぼくは要らないよなぁ。こんな幸せそうな顔した雪路と、その両親の間になんて、入っていける筈がない。

「? せんせい、なんかヘン」

「そんなことないさ」

「せんせい、寂しそう」

「そんなこと――ない、さ」


……帰ったら、プリンセス○ーカーでもやろう。娘を、立派なプリンセスに育てよう。
そんな莫迦なことを考えていると、左手に――右手は自分のバッグとランドセルで一杯だ――むず痒いような、そんな感触が走った。


「んんー、何してるのかな、雪路?」

「手、つなご?」

「――――。」


握り締めていた拳を、小さい手で懸命にこじ開けようとしている雪路。
そんな雪路を見て……ちょっと、涙ぐんだ。
左手を緩めて、雪路の手を握る――本当に、小さな手だ。


「えへへ〜。なんだか、おやこみたいだねっ」

「……そうだな」


初めて、“娘”と手を繋いだ。

嬉しかった。幸せだった。楽しそうにはしゃぐ雪路を見て、本当の親子じゃなくても、この幸福な一時があればいいと、そう思えた。
雪路の手は華奢で繊細で、ほんのり温かかった。
この温もりを、ずっと、忘れないでおこう。


「せんせいの手、おっきいね」

「雪路の手は、小さいな」

「ゴツゴツしてて硬いけど……なんだか、安心する」

「そうか――雪路の手は、柔らかくて儚くて……護りたくなる」

「せんせい、あたしのこと護ってくれるの?」

「そうだな。お前がピンチの時は、護ってあげよう」

「うんっ。約束だよ?」

「ああ……約束だ」


ほんのりと温かい手。この温かい手を、護りたい。
哀しませないために、幸せになってほしいがために。
ぼくの手が皺くちゃになって、よぼよぼになって、握力が弱っても――護ってゆきたい。


初めて交わした両手。
初めて交わした約束。

それが、ぼくと雪路を結んだもの。

タイトル風を追いかけて
記事No46
投稿日: 2008/03/28(Fri) 00:06
投稿者双剣士
参照先http://soukensi.net/ss/

 あの人は風のよう
 こんなに近くに居るのに なかなかそれに気づかない
 私の心の鈴を揺らす あの春一番が吹くまでは


 がしゃん、カラカラカラ。
 自転車の倒れる安っぽい音。もうダメだと目をつぶっていた私の身に、しかし痛みや衝撃は
襲ってこなかった。恐る恐る目をあけた先には、横倒しになった自転車と、見慣れない同い年
くらいの男の子がいた。その男の子は私の身体を両手で軽々と抱き上げてくれながら、女の子
みたいなやわらかい笑顔で私のことをじっと見つめていた。
「自転車はちゃんと整備してないと……危ないですよ?」
「う……うん……」
 胸のドキドキが止まらない。自転車で下り坂を滑り降りてるうちにブレーキが利かなくなった私。
その私をガードレール激突寸前で助けてくれた男の子。もう死ぬかもしれないと思った矢先に
訪れた、まるでドラマみたいな展開。普通の日常が終わりかける狭間に姿を見せた、はじめての奇跡。
「大丈夫ですか?」
「…………」
 あなた誰とか怖かったよとか、いろんな感情がごちゃごちゃに絡み合って。胸が苦しくて頬が熱くて
息苦しくて。でもとにかく、ありがとうって言わなきゃって思った私は思い切って顔を上げた。
でも見上げた先にはもう男の子は居なくて、道路の脇にしゃがみこみながら倒れた私の自転車を
慣れた手つきで触っていた。
「……え?」
「とりあえず応急修理をしておきました。ちょうど合う部品があってラッキーでしたよ」
「え、あの、いつの間に?」
「それじゃ僕、先を急ぎますんで。気をつけて帰ってくださいね」
 その男の子は最後にやさしく微笑んでくれた。そして自分の自転車にまたがって、まるで
『ブレーキが付いてないみたいな』猛スピードで坂を駆け下りていってしまった。取り残された私は
駆け去る彼の背中を唖然として見つめて……そしてお礼を言うどころか、名前すら聞かずにお別れ
してしまったことに今更のように気が付いた。
「また、会えるかな……」
 彼が着ていた制服。確かそれは私がこの春に入学した潮見高校の男子用制服だったと思う。
だったらこの道をこの時間に通っていればまた会えるかもしれない。そう思った途端に顔が
かぁっと熱くなった。いったん収まったはずの胸の鼓動がまた速く強くなった。自分の身に
起こった不思議な化学反応に戸惑った私は、でもこの甘酸っぱさを忘れたくなくて両腕で自分を
抱きしめた。彼のことを思えば思うほど身体の熱が上がっていく。あの衝撃の出会いを頭の中で
リフレインするたびに、胸の中で彼のことが大きくなっていくのが分かる。それはまるで、
これから彼との思い出を詰め込むために今から場所取りをしているかのよう。
 あれ、これってひょっとして……初恋、なのかな?


 一陣の風が吹き抜けて ぽっかり空いた胸の穴
 空いたままでは居られない 他のものでは埋まらない
 でもあの人は風の人 ひとつの場所では止まれない


 それから彼が同じクラスの男の子だと分かった私は、すぐにお礼と挨拶をしに彼の席に向かった。
その日から彼の一挙手一投足を注視するのが、私の大切な日課になった。
 彼の名前は綾崎ハヤテ君。11月11日生まれのサソリ座の15歳。授業態度は真面目で
成績はクラスの上位1桁、とりわけ体育の時間には飛びぬけた身体能力を発揮する。誰に対しても
柔らかい物腰で接してて細かいところにもよく気を配ってくれるし、それでいて自慢したり
誰かをさげすんだりする態度は全然ない。彼のことを知れば知るほど、素敵で格好よくて
魅力いっぱいの男の子だと分かった。学級委員長どころか生徒会長をしててもおかしくない、
初恋の欲目を抜きにしても私の目からはそう見えた。
 ……それなのに、意外なくらい彼の名前は女の子同士の噂に上がってこない。何か困ったことが
あるときには助けてもらうけど普段はまるで空気みたいにスルーされてる、そういう扱いを
受けてる人だってことに私もだんだん気がついてきた。嬉しいような寂しいような複雑な気持ちを
抱きながらみんなの話を聞いてみると……どうやらハヤテ君は、授業が終わるとすぐに教室を
飛び出してしまって、みんなとおしゃべりとか全然しない人みたい。噂では脇目も振らずに
バイトに励んでるって話だった。なにかの部活動で活躍するとか、放課後に友達同士で遊びに
行くとかいう高校生らしい楽しみ方とは一切無縁な男の子。いまどき携帯電話も持ってなくて、
遊びに行こうと誘われても断ってばかりなために、次第に誰からも相手にされなくなった孤高の存在。
クラスメイトの友情の輪は、いつの間にかハヤテ君を仲間外れにした形で固まってしまって
いたのだった。
《そんなの……悲しすぎるよ》
 ただ待ってるだけじゃハヤテ君との思い出なんて作れない。そのことに気づいた私は、その日から
ありったけの勇気を振り絞ってハヤテ君への熱烈アプローチを開始した。

「ハ……ハヤテ君!! 一緒にプリクラ撮らない?!」
「え? でも僕、自転車便のバイトが……」
「す!! すぐ済むって!! ね、ほら記念にさ……」
「記念って……なんの?」
「えっと……バイト行ってしまう記念……と、とにかく1枚だけ!! 1枚だけでいいからさ!!」
「うわ!! に、西沢さん!!」

「あの……ハヤテ君、お昼は食べた?」
「あれ、西沢さんどうしてここに?」
「うん……ハヤテ君お昼時間になるとすぐ教室を飛び出して行っちゃうから、ちょっと気になって」
「ははは……いや、僕お昼は抜くことにしてるんですよ、お金ないし……みんなが楽しそうに
食べてるのを見るのがつらくて、こうして屋上で時間つぶししてるわけでして」
「……あの、だったら、これ、食べてくれない?……あ、あの、弟の分のお弁当作ってたらさ、
ちょっと作りすぎちゃって……」
「え、でも……いいんですか?」
「いいの!! それであの、私まだお料理苦手だから、またときどき分量を間違えて作りすぎちゃう
かもしれないけど……」

 バイト中のハヤテ君を呼びとめたり、お昼休みにハヤテ君のことを追いかけたり。かなり
無理やり気味だったけど、私はハヤテ君とのつながりをひとつひとつ増やしていった。ハヤテ君の
趣味とかが全然わからなかったから、明日はこうしよう、明後日はこんなことをしてあげようと
思いつく限りのおせっかいを私はハヤテ君にぶつけていった。それがうまくいった日は顔が一日中
ニヤケまくりになり、友達や家族に冷やかされたりもした。いつも気がつけばハヤテ君のことばかり
考えてて、うっかり時間がたつのも忘れちゃう。恋人同士だなんてまだ早いとは思ったけど、
せめて友達以上にはなりたくて私はせっせと彼の世話を焼き続けた。
 そんなこんなで11月。もうハヤテ君と出会ってから半年以上が経っていた。だけど肝心の
ハヤテ君は、いつまで経っても4月に出会った時のままだった。もちろん表面上は私のすることを
嫌な顔ひとつせずに受け止めてくれて、丁寧にお礼も言ってくれる。折に触れてお返しだってして
くれる。傍目からは仲のいい男女に見えるのかもしれないけど……でもハヤテ君のことばかり
見つめてきた私には分かってしまう。彼が私との間に一線を引いて、社交的儀礼の範囲を決して
出ないようにしていることが。私とお別れして背中を向けるときに、どこかほっとしたような、
肩の荷を下ろしたような溜息をこっそりついていることが。そして私のほうから誘わない限り、
一度たりとも一緒に何かしようと声をかけてきてくれたことなんて無いってことが。
《ハヤテ君、私のこと嫌いなのかな……》
 見ないように考えないようにと心の奥底にしまったはずの感情が、このごろは毎晩のように
頭に浮かんでくる。私はひょっとしてバカなことしてるんじゃないかな? 独りぼっちで空回り
して、拒絶しないハヤテ君の優しさに甘えたまま恋愛ごっこみたいなのを延々と続けてただけ
なんじゃないかな? ハヤテ君と相思相愛になりたいなんて贅沢は言わない、彼のこと好きな
ままでいられればそれでいい……そう自分をごまかして今日までやってきたけど、そろそろ
限界に来てるんじゃないかな?


 追いかけたって届かない 抱きしめたくても掴めない
 無理なことだとわかっていても 今日も私は風を追う
 あの日あなたが揺らしてくれた 私の胸の小さな波紋
 もうあの頃には戻れない ただ静かだったころの水面には


 そして11月11日。ハヤテ君の16回目の誕生日。いつものようにバイトに行こうとする
ハヤテ君の手を無理やり引っ張って、私は某所の有名な遊園地へとやってきた。
「うわーい、ついに来たよ来ましたよ! さぁハヤテ君、今日は目いっぱい……あれ、どうしたのかな?」
「あ、いや、その……ここの入場料、すごく高かったから……あれだけあったら何日分の
ベビースターラーメンが買えたのかなって……」
「もう、せっかくタダ券を手に入れたんだからそんなのどうでもいいじゃない。思いっきり
楽しまないと、その何日分かの御飯が無駄になっちゃうんだよ?」
「はぁ……でも僕なんかでいいんですか、もっと他の友達とか……」
 相変わらず鈍感というか、謙虚というか。ペアチケットの相手を誘うとき、誰でもいいなんて
ことがあるわけない。でも私は反論の言葉をぐっと飲み込んだ。せっかく好きな人と遊園地に
来たのに、入って早々に喧嘩なんかしたくなかったから。
「さっ、行こうハヤテ君!」

 それからハヤテ君と一緒に、いろんな乗り物を回った。もっとも私が『あれ乗りたい!』と
彼を引っ張りまわして、ハヤテ君が丁重にエスコートしてくれるパターンばかり。お姫様気分と
言ったら聞こえはいいけど、お誕生日のハヤテ君に楽しんでほしいと思ってた私としては
ちょっと拍子抜けな気分だった。ハヤテ君の希望を聞き出そうと何度か誘い水を向けては
みたんだけど、そのたびにあの柔らかい笑みで誤魔化しつづけるハヤテ君。喧嘩したくは
なかったから深く追求しなかったけど……でも精神的な限界は、刻一刻と迫ってきていた。
「ねぇハヤテ君……楽しんでくれてる?」
「えっ?」
 メリーゴーランドを乗り終えたばかりの午後6時。喫茶ベンチで休んでいた私にジュースを
買ってきてくれたハヤテ君に、私はおずおずと問いかけてみた。ハヤテ君はちょっと驚いた
ような顔をしてから、いつも通りの笑顔で返事をしてくれた。
「えぇ、もちろん楽しんでますよ。こういうところって着ぐるみのバイトでしか来たこと
ありませんでしたから」
「……そう」
 言葉だけなら和やかな会話に聞こえる。だけどハヤテ君の瞳には、喜びよりも戸惑いの色の
ほうが濃かった。春からじっと彼だけを見つめてきた私だから分かる、それは今までに何度も
見てきた表情。頑張ってる私をたまらなく不安にさせる、勇気を根こそぎ吸い取られてしまい
そうな蒼く透き通った瞳。
《えーい、弱気になるな西沢歩! ほら、お誕生日のプレゼントを渡す絶好のチャンスじゃない》
 この日のためにあれこれと悩んで選んだプレゼント。その箱を取り出そうと学生鞄を膝へと
持ち上げようとして……ところがそれを見たハヤテ君は、ここでいきなりとんでもないことを
言い出した。
「あ、そろそろ帰りますか? もう暗くなってきましたもんね、家まで送りますよ」
「……えっ?」
「今日は本当にありがとうございます、僕なんかをエスコート役に呼んでくれて……でも
次回からは別の人を誘ってあげてくださいね、きっと西沢さんもそのほうが楽しい……」
「……なんでそんなこと言うの?」
 うきうきした気分に冷水を浴びせられたみたいで、声が沈んでしまってるのが自分でも分かる。
ハヤテ君だから誘ったの、あなたに楽しんでほしかったからここに来たの……ここに至っても
まだハヤテ君は、そんな私の気持ちに気付いていなかった。プレゼントのことで高揚した私の
気持ちを、闘牛士ばりのボディワークで軽やかにあしらうハヤテ君の言葉。なまじ勢いが
つきすぎてただけに、今回ばかりは笑って済ませることができなかった。
「ハヤテ君、私といるの迷惑かな……?」
「に……西沢さん?」
「どうしたらいいの? どうしたらハヤテ君、心の底から喜んでくれるの? どうすれば
心の鎧を脱いでくれるの?」
 一度口にしたら止まらなくなった。危ない所を助けてもらったうえ、勝手に好きになったのは
この私。ハヤテ君が私の思うように動いてくれる義務なんて全然ない……そう自分を納得させて
今日まで言わずにいた彼への不満。彼にぶつけたところで困らせるだけと分かってた詰問の言葉。
それが堰を切ったように次から次へとあふれ出てくる。
 恥ずかしいことしてると思いながらも、このときまだ私はどこかで期待していた。これだけ
赤裸々に思いをぶつけたら、ハヤテ君もきっと今までと違う側面を見せてくれるんじゃないかって…
…でもハヤテ君の柔和な笑顔はいつもと変わらなかった。そして私の詰問が一段落したのを
見計らって、彼はこうつぶやいた。
「すみません、ありがとうございます。だけど……僕は、女の子と付き合う資格がないから……」
「…………☆※!!!」
 そこから先は何をしゃべったか覚えてない。気がつくと私は遊園地の外にいて、ぽろぽろ
涙を流しながら自分の自転車で家へと全力で駆け出していた。ハヤテ君に渡すはずだった
お誕生日プレゼントがカバンに入ったまんまだったことに気づいたのは、泣き疲れて
眠りこんだ翌朝のことだった。

 終わった、と思った。
 翌日から私はハヤテ君に構うのをやめた。遊園地での口論の続きをしたいとは思わなかったし、
謝って元通りになれる気もしなかった。なにより、どんな顔してハヤテ君の前に立ったら
いいのかが分からなくなった。それでも視線はひとりでに彼の背中を追ってしまう。高校入学以来
ずっと続けてきた自分の癖が、こうなるとかえって辛さを増す方向に働いてくる。私は意識して
ハヤテ君から視線をそらそうと努めた。友達は夫婦喧嘩かと冷やかしてきたけど、愛想笑いする
余裕もなしに無視していると次第に悪口も沈静化してきた。
 大好きなハヤテ君、高校生活のすべてだったハヤテ君。その大切な人と触れ合うことのない日々。
この半年間とはまるで違う高校生活が始まった。胸に空いたままの穴はまだ埋まらなかったけど、
その冷たい空虚さにも徐々に慣れてきた。ここはハヤテ君の指定席じゃない、ハヤテ君は特別な人
なんかじゃない……苦しい時はそう自分に嘘をついて、その嘘を信じ込むよう自分にムチを入れる。
辛かったけどそうしないと前に進めないと思った。その甲斐あってか徐々に私は、ハヤテ君以外の
友達や遊びなどにも興味を向ける余裕が持てるようになっていった。
 そして巡ってくる期末テスト。面倒見のいいハヤテ君は例によってクラスメイトからの質問を
受けていた。女の子の中には私のことをまだハヤテ君の彼女だと思っている子もいて、彼への
質問や頼みごとを私あてに言ってくる子も少なくなかった。そういうときは仕方なくその子の
お伴として、私も彼の席へと向かわざるを得なかった。
「ここは、こう……ですよ。わかりますか?」
「あぁ、なるほど、さすが綾崎君! 助かったよ、ありがとう」
「……ありがとう。ばいばい、綾崎君」
 彼は特別な存在じゃない。そう毎日繰り返すことで、このころには私も仮面をかぶるのが
上手になっていた。


 あの人は風 吹き抜ける風 私の髪を気持ちよく揺さぶる風
 でもその心地よさに気づくのは 風が止まった後のこと
 かけがえのなさに気づくのは 世界が凍った後のこと


 そして年が明けて3学期。朝礼で読み上げる出席簿の中に、綾崎君の名前はなかった。
冬休みに入ってすぐに学校をやめたと担任の先生は言っていた。その言葉はまるで落雷のように
私の心を揺さぶった。
《うそ……綾崎君に、もう会えないの? うそだよね?》
 始業式が終わってすぐ、私は自転車で綾崎君のアパートに向かった。でもアパートの表札は
すでになく部屋はもぬけの殻だった。玄関先でぺたんと座りこんだ私の脳裏に、綾崎君と作った
去年の思い出の数々が次から次へと浮かび上がってきた。
《そんな……》
 みるみる涙があふれてくる。このときになってようやく私は自分の気持ちに気づいた。初恋は
実らないとか、綾崎君が受け入れてくれないから諦めようとか、そんなの嘘、みんな嘘。
私は綾崎君が好き、今でも好き、ずっと大好き。純粋にそのことだけ思っていれば幸せだったのに、
喜んでほしいとかどうとか、綾崎君からのリアクションを求めだしたからおかしなことに
なっちゃったんだ。こんな簡単なことに、彼に会えなくなってから気づくなんて!!
《神様、お願いです。もう一度、一度だけでいいんです。どうか綾崎君に会わせてください》
 初詣に行った神社に1週間遅れで飛び込んだ私は、そう神様に願をかけながら何度も何度も
石段を往復したのだった。

 そして2日後の1月10日。私の一世一代のお願いは、神様のもとに届いてくれた。
高校の校門に私服姿の綾崎君が現れたのだ。
「あの……」
「うひゃあ、ごめんなさいごめんなさい!! でも決して怪しい者では……」
「綾崎君よね……? どうしたの、私服でこんなところに……」
「に……西沢さん……」
 息せき切って教室から校門に駆け寄った私に、綾崎君はバツの悪そうな笑みを見せた。
そのあと新学期に来れなかった理由をあれこれと説明してたけど、そんな訳のわからない話は
どうでもいい。二度と会えないかと思ってた綾崎君が、こうして目の前にいるんだから。
もうそれで十分だもの。
「でも良かったよ……ようやく今年初めて綾崎君の顔が見れて、本当に……嬉しいよ……」
 私がどんな思いでこの一言を口にしたか、綾崎君には想像もつかないに違いない。
でもいいんだ、もう私は迷わないもの。これからはちゃんと向かい合って話をしよう。
遊園地でわがまま言ったことを謝って、また最初から一歩ずつ、2人の思い出を作っていこう…
…そう思った矢先のこと。
「は? なに言っとんだ綾崎。お前、退学になってるぞ」
 ゴッ!!!
「いいのかな? 教師がそんな軽薄なウソを言って……」
「や、やめろ西沢!! ワシは事実を言っただけなんだぁ!!」
 目の前が一気に真っ暗になった。そんな、確かに一度だけ会わせてと頼んだけど、本当に一度きりに
なっちゃうなんて! こうなったらなりふり構ってなんかいられない、去年みたいに言いたいことも
言えないままでお別れするなんてイヤだよっ!! 寂しそうに背を向ける綾崎君の背中に、
私はあわてて手を伸ばした。
「待って綾崎君!!」
「……はい?」
「綾崎君が好きです!!」
 これ以上ないほどストレートに、私は自分の想いを彼にぶつけた。
「このままお別れなんて嫌です……だから私と、付き合ってくれませんか?」
 女の子のほうから告白なんて、顔から火が出るほど恥ずかしい。でもそんなこと言ってる
場合じゃなかった。想いを伝えるチャンスは今しかないんだから。
「へ? え、あ、その……」
 涙を浮かべた真剣な目で迫る私に、思わず口ごもる綾崎君。バイトが忙しいって言うんだろうか、
それとも付き合う資格がどうのこうのって言い訳するんだろうか。でもそんなの、今の私だったら
どうにでもしてみせる。勝手に殻を作って閉じこもってる綾崎君を、外の楽しい世界に連れ出して
あげるのが私の務め、それがせめてもの恩返し。同じクラスにいられなくたって構わない、
どこに行ったって私は追いかけてみせる。もう二度と後悔はしたくないから。
「ご……ごめん……」
 綾崎君は困り果てた表情で、心優しい彼にしては珍しく、私のお願いを断った。でも半ば
予期していた私は驚かなかった。大丈夫だよ、これからは私が一緒にいるから……そう励まして
あげようと思った、その刹那。

「実は僕、二次元にしか興味ないんだ」

 えっ? 今なんて言ったの、綾崎君?
 女の子と付き合う資格がないって言ってたのは謙遜でも自嘲でもなくて、単に二次元の
女の子キャラにしか目が向いてないからってことだったの?
 お金が無いからとバイトに励んでたのは家が貧乏だからじゃなくて、二次元グッズに
お金をつぎ込んでるせいだったの?
 それじゃ私が振られ続けてた理由って……綾崎君が遊園地でも全然楽しそうにしてなかった
理由って……。
「あ……あ……綾崎君のバカ────!!」
 沸騰し逆流した感情に身をゆだねながら私は怒りのままにパンチを繰り出した。よりによって
初恋の相手に向かって、手加減なしの全力で。


 あの人は風のよう
 こんなに近くに居るのに なかなかそれに気づかない
 その優しさに気づく時には 手が届かなくなってる
 だけど大丈夫
 あの人がどこに居ても 空のどこかで繋がってるから
 この広い空の下にいれば いつかあなたに会えるから


 その日の夜。夜空の星を見あげながら、私は彼への想いを新たにしていた。
 せっかく神様が一度だけ綾崎君に会わせてくれたのに、カッとなって喧嘩別れしちゃったのは
本当に反省してる。綾崎君がどんな態度を取ったって自分の気持ちは変わらない、そう心に決めた
つもりだったのに……バカだよ、私ったら。
 もし次があるなら……虫のいい話だけどもう一度奇跡が起きるものなら、今度こそ彼のことを
全力で追いかけよう。短気を起こさないようにしながら、もう絶対に彼のことを見失わないよう
気をつけよう。あきらめたら試合終了だって誰かが言ってたけど、それって逆に言えば、あきらめ
ない限り可能性はあるってことだもんね。
「綾崎君……私はまだ……」
 私の小さなつぶやきは冬の夜空へと消えていった。あの人も今、同じ夜空を見てるかもしれない。
今は住むところも見つめるものも、私とあの人では違うけど……でも星と星の間ほどには掛け離れて
いないはず。だったら大丈夫、きっとまた出会えるに決まってる。
 そのときは今度こそ頑張ろう。初恋は実らないなんてジンクスがあるらしいけど、そんなの
関係ない。だって何回失敗しても、そのたびに彼のことが好きになっていくんだもの。
「きっとまた会えるから……だから待っててね、綾……ううん、ハヤテ君!!」


Fin.

タイトルFFF
記事No47
投稿日: 2008/03/30(Sun) 20:04
投稿者ウルー

「ねーねー、桂ちゃん」
「んー。なぁにー」

 受け持ちのクラスで委員長をやらせている少女は、私の机の上に、持って来るよう頼んでおいたプリントを置くと、いつもの無邪気な笑顔を浮かべて早々に声をかけて来た。私は湯呑みのお茶を啜りながら、適当に応じる。

「桂ちゃんって、ケッコンとかしないの?」
「ぶぅッ!」

 唐突な言葉に、私は口に含んでいたお茶を思いっきり噴き出す羽目となった。幸いにもプリントにはかからなかったけれど。

「な、なんなのよ、いきなり」
「あー、いやー。純粋に気になっただけなんだけどね? ほら、桂ちゃんってもう三十路手前だし」

 グサリと、言葉のナイフが私の胸に突き刺さった。無邪気ゆえに、容赦なく。

「あ。その顔は、ケッコンどころかそれ以前に相手がいないって顔だねー」

 ナイフ、二本目。

「……なぁに? もしかして、喧嘩売ってるわけ? いいわよ、買ってあげる。いくら? というかタダにしなさい、買い占めてあげるから」

 舐められたままでいるわけにもいかないので、少し凄んでみる。けど、この子にはたいした効果も無かったみたいで、相変わらず笑顔のまま、頭の左右で結わえた髪をぴょこぴょこ揺らしている。

「にははー、そんな怒んないでよ。本当、純粋に気になっただけなんだってば。桂ちゃん、どうしてケッコンしないのかなーって」
「行き遅れに対する挑戦としか思えないんだけど」
「いや、だって。桂ちゃんってなんだかんだ言っても美人だし。本性知らない男の人なら、けっこう寄って来るんじゃないの?」

 少女の言葉に、私はわかりやすく、けれど小さく、溜息をついてみせた。

「……あのね。男なら誰だっていいってわけじゃないのよ? 私にだって女としてのプライドぐらいあるんだから」

 そもそも本性知らない男の人ならってどういう意味よ、とも言いたかったけど。それは何だか、自分でそれを認めてしまうような気がしたから、言わずにおいた。

「女としてのプライドかー。じゃ、どういう人ならいいの? というか、今好きな人とかはいないの?」
「……なんなのよ、さっきから。まさか恋愛相談とかいうオチじゃないでしょうね?」
「ぎくり」

 ご丁寧に声に出しつつ、少女は笑顔のまま固まる。ほんの小さな嘘すらつけないのがこの少女の欠点であり、美点でもあった。
 まあ、それは置いといて。話を逸らすにはちょうどいいネタであることには間違いなかったので、乗っかることにする。

「あなた、例の執事君と付き合ってるんじゃなかったっけ? 喧嘩でもしたの?」
「いやいや、仲良くやってるよー。昨日もね、えっと……」
「あー、ノロケはいいから。何を相談したいのか、それをさっさと言いなさい」
「……実は……彼の、ご主人様のことなんだけど」

 話題の二人――執事とそのご主人様――も、私が受け持っているクラスの生徒だった。大金持ちの子息が集まるこの白皇学院では、然して珍しいことでもない。
 もっとも、件のご主人様は白皇の中でも数少ない飛び級をしている生徒なんだけど。

「あの子はね、私達が付き合うのに反対なんだ」

 少女は笑顔のままその表情を曇らせて――要するに苦笑して――そう言った。けっこう長い付き合いだから分かるけれど、それなりに困っているということだ。

「ふーん……ま、執事なんてご主人様の持ち物みたいなもんだからねー。それに恋人が出来たって言うんじゃ、そりゃ気に入らないでしょうねぇ」
「……そんなんじゃないよ。あの子は、そんなんじゃない」

 軽口を叩いた私に返ってきたのは、真剣な声音だった。
 思わずじっと見つめてしまっていた私の視線に気付いてか、彼女は照れ臭そうに笑った。ガラじゃない、なんて思っているのだろうか。

「あーあ、三角関係なんて、面倒くさい初恋しちゃったなー」

 その笑みだけでは誤魔化すのに足りないと思ったのか、今度は彼女が軽口を叩く。
 初恋。どこか懐かしい匂いのする言葉。誰かが開けた窓から吹き込んできた風が、私の髪を揺らした。

「ま、そりゃあ面倒でしょうよ。でも、あんたはまだマシな方ね」
「……? どういう意味?」

 乱れた髪を軽く直しながら、私は――きっと、口元に小さな笑みを浮かべて――言ってやった。

「だって。周りはどうあれ……あなたの初恋は、もう実ってるじゃない」





「……恋、ねぇ」

 陽が沈んだばかりの、夕焼けと夜闇の境界のような空の下、私は無駄に広大な白皇学院の敷地内を、一人で歩いていた。
 最後に恋愛をしたのはいつだっただろうか。記憶を探ってみるも、それらしいものは一向に見つからない。いいな、と思えるような人が何人かいたはずなのだけど……まあ、覚えていないということは、結局たいした男ではなかった、ということなのだろう。
 そうなると、やはり。30年近く生きてきて、まともな恋愛ができていたのは……あの、慌しくも楽しかった2年間だけだったということになる。さっきあの子に偉そうに講釈を垂れていたのを思い出して、私は恥ずかしくなった。人の恋愛にどうこう言えるほど、私は恋というものを知ってはいない。

「……あー、やだやだ。今日はもう、パーッと飲むわよ」

 そのまま黙っていたら、色々思い出してしまいそうだったから……私は、少し無理して大声を張り上げてみせた。
 当然それは独り言で、私の口から出て私の耳に消えていく、それだけの言葉であるはずだった。
 なのに。

「それはいいですね。ご一緒してもよろしいですか?」
「え?」

 今になって、進む先に誰かが立っているのに気付く。周囲の薄暗さのせいで、顔は見えないけれど……背丈と声からして、男の人であることは間違いない。その声は、どこか聞き覚えがあって、それでいて記憶に無い声だった。

「……あ」

 違う。やっぱり知っている声だ。違和感を覚えたのは、その声が記憶にあるものより低くなっているから。それも当然だろう。女の子みたいな顔をしてても、“彼”はれっきとした男の子なんだから……十年も経てば、声だって少しは低くなる。

「……あ、あの」

 かけた声は、ほんの少しだけ震えていた。
 もう私には、目の前に立つ顔の見えない誰かが誰なのか分かっている。分かっていても、信じられなかった。
 彼が、ゆっくりと前に進み出る。
 そうやって、ようやく見えた、その人の顔は――

「お久しぶりです、ヒナギクさん」
「……ハヤテ……くん……」

 ――私の、初恋の人のものだった。





「では……10年ぶりの再会に、かんぱーい」
「乾杯」

 カチン、という音の後、私はジョッキ一杯に注がれていたビールを、一気に半分ほど飲み干した。

「ぷはーっ。やっぱ仕事の後のお酒ってサイコーねっ」
「…………ええと、ヒナギクさん?」
「あ」

 テーブルを挟んだ反対側に座ってチビチビと飲んでいるハヤテ君の視線に気付いて、私は今さらながらに恥ずかしくなる。普段は一人だったり、今の私を知っている人としか飲まないから、つい、いつものようにやってしまった。

「……あ、あはは。えっと、その、まあ……ハヤテ君も飲んで飲んで、ほら、もっと男らしく豪快に」

 結局上手い誤魔化しを思いつかず、私はそう言うしかなかった。
 私達は今、一軒の居酒屋にいる。一人外で飲む時の馴染みの店で、こぢんまりとしてはいるけれど、美味しい料理をこのご時世としては良心的な値で振る舞ってくれる、いわゆる穴場だった。実際どうなのかは知らないけど、私にとっては間違いなく穴場。だから、人に教えるようなことはない……はずなのだけど。

「はは……まあ、気持ちは分かりますよ」

 ハヤテ君はそう言って、グラスをぐいっと傾けて、残っていたビールを一気に飲み干した。その仕草はどこか気品を感じさせるもので、私はまた少し恥ずかしくなる。

「そ、そんなことより。いつこっちに戻ってきたのよ」

 適当に頼んだ料理を、これまた適当につまみながら、私は話題を逸らそうと試みる。もっとも、聞きたいことであるのは確かなんだけど。

「昨日ですよ。それでまあ、昔お世話になった人に挨拶に回ろうと思いまして。それで今日、会いに来たわけです」
「なるほど。それにしても、昨日って……それはまた、随分と急ね。あ、注ぐわね」
「あ、ありがとうございます。まあ、お嬢さまの気まぐれはいつものことですし」

 懐かしい言葉が彼の口から出て、それがなんとなくおかしかった。あの子は今25歳になってるはずだし、もう“お嬢さま”なんて歳じゃないだろうに。

「ナギとマリアさんは元気?」
「ええ、それはもう。まあ、お嬢さまは未だに外に出るのが苦手みたいなんですけど……それでも、昔と比べればだいぶ良くなりました。背も伸びましたし」

 それからは、お酒と料理を楽しみながらお互いの近況を報告していく。マリアさんは昔と見た目が全然変わらないんですよ、ウチのクラスは問題児が多くて疲れるわ……そんな他愛も無い話をしている内に、ふと、ハヤテ君が思い出すかのように言った。

「ヒナギクさんは、いつからお酒を嗜むようになられたんですか?」
「へ?」

 間抜けな声を出した私は、ちょうどジョッキを空にしたところだった。

「いやあ、桂先生があんな感じじゃなかったですか。だから、こう……お酒なんて誰が飲むもんですかー、みたいな感じなのかと思ってたものですから。こうやってヒナギクさんとご一緒できているのは、嬉しくもあり予想外でもあるわけです」
「……言っとくけどね、お姉ちゃんと一緒に考えないでよ? 仕事はちゃんとやってるし、借金なんて一銭も無いし、こうやって外でパーッと飲むのは週二回までって決めてあるんだから」
「じゃあ、家では毎日飲んでいるわけですね」
「う」

 ニコニコと笑いながらのからかいに、私は声を詰まらせる。
 10年経ってだいぶ逞しくなったように見えたハヤテ君だけど、その笑顔は私の記憶にあるままだった。そのこと自体はなんとなく嬉しいんだけど、からかわれているのはちょっと悔しい。
 昔は、こういうやりとりをすることは余り無かったように思う。ハヤテ君も色々と大変で、そういうことを言ってる余裕が無かったんだろうし……私がハヤテ君を嫌っている、という勘違いもその一因だったはずだ。
 ふと、思う。今は、どうなのだろうかと。

「それで、どうなんですか? 僕としては、是非とも聞いてみたいんですが」

 私が本気で嫌がれば、ハヤテ君も引き下がるはずだ。実際、あまり喋りたくない――特に、ハヤテ君には――話でもある。
 それでも話してしまおうと思ったのは、それほど酔いが回っていたからなのか、確かめてみたくなったからなのか。

「……そんなに聞きたい? 私とお酒の馴れ初め」
「ええ、ヒナギクさんさえ宜しければ」
「……ふふ、しょうがないわねー。じゃ、特別に話してあげる」

 ハヤテ君が、僅かに身を乗り出す。何がそんなに興味を惹くのか、少し理解しがたい所だけど……まあ、酔ってるんだろう、きっと。

「私が最初にお酒を飲んだのはね……10年前のことよ」

 そのハヤテ君は、私の言葉に動作を止めた。
 数秒の間を置いて、口を開く。

「あの……ヒナギクさん? 10年前と言ったら、ヒナギクさんは未成年では……?」
「ん、そうよ。私、サバなんて読んでないもの」
「…………」

 まあ、ハヤテ君が呆然とするのも分からなくはないけど……そこまで意外なことだろうか。
 これだけでここまでショックを受けているハヤテ君に、この先を告げたら……一体、どうなってしまうんだろう。やっぱり止めた方がいいだろうか――そこまで考えて、私はそれが“逃げ”であることに気付いた。
 ハヤテ君がどうこうなんて、関係ない。私が、言いたくなくて、思い出したくない、ただそれだけだった。

「もっと、詳しく言ってあげましょうか」

 でも、私の口は勝手に動いていた。あるはずだった胸の奥の痛みは、不思議と感じられない。

「私が初めてお酒を飲んだのはね……10年前の、私の18歳の誕生日。私がハヤテ君にこっぴどくフラれた、その夜よ」








 私は一人、部屋に閉じ篭って泣いていた。お義母さんに心配をかけるのは嫌だったから、声が漏れないよう、枕に顔を押し付けて。
 ただただ、悲しかった。自信があったわけじゃない。きっと駄目だ、無理だと、分かっていた。分かっていても、悲しかった。2年という歳月は、彼への想いをそこまで大きくさせるのには十分すぎるほどの長さだった。
 告白なんて、する気は無かった。あの時、観覧車のゴンドラの中で歩にそう言ったのは、気恥ずかしさと自分の意地っ張りな性格のせいだったけれど……いつからか、その言葉は違う意味を持つようになっていた。
 ハヤテ君に、私のことを好きになってもらいたかった。
 私が告白して、もしハヤテ君がそれに応えてくれたら……それは、ハヤテ君が私のことを好き、ということなのかもしれない。でも、私には、それだけでは足りなくて。ハヤテ君の方から告白してくるぐらいに、私のことを好きになってもらいたくて。だって私は、もう、この気持ちを伝えたくてしょうがないほどに、彼のことを好きになっていたから。
 だから私は、告白しようとはしなかった。その気になれば、言う機会はいくらでもあったけれど……今日この日まで私は何も言わず、ただ彼に好きになってもらえるようにと、色々なことをしながら、日々を過ごしてきた。
 なのに。

「……う……あ……ああ……」

 なのに私は、言ってしまった。
 そうしなければいけないと思った。何も伝えられずに全てが終わってしまう、それだけは絶対に嫌で。何も言えないまま遠く離れてしまう、それが耐えられなくて。
 その結果が、この様だった。
 誕生日なら断りにくいんじゃないか、そんな卑怯なことも考えて……皮肉なことに、誕生日に始まった私の恋は、誕生日に終わることになった。


 そうして、どれだけの時間が経っただろうか。電気も点けず、私は真っ暗な部屋の中で泣き続けていた。たくさんの涙を吸った枕はもうグショグショで、気持ち悪くて、それでも私は、涙を止めることができなかった。
 突然、部屋に光が射し込んだ。

「ヒナ、入るわよ」

 いつものようにノック一つもせず、お姉ちゃんがドアを開けていた。電気を点けてそのままズカズカと入ってくると、私のすぐ傍まで来て、ベッドの上に腰を下ろした。
 私は顔を上げることも、声を出すこともできずにいた。

「……あー、ヒナ?」
「…………」
「……いつまでそうしてんのよ、らしくないわねー。別にいいじゃない、フラれたって。世の中、綾崎君よりいい男なんてゴマンといるわよ」
「……ッ、そんな人、いるわけない!」

 お姉ちゃんの言葉に無性に腹が立って、私は跳ねるように起き上がって、怒鳴ろうとして――出てきたのは、近くにいてようやく聞こえるぐらいの、掠れた小さな声だった。

「ようやく顔を見せたわね」
「あ……」
「……まったく、酷い顔しちゃって。ほら、これでちょっとは綺麗にしなさい」

 お姉ちゃんは有無を言わせず私にタオルを押し付ける。一度顔を上げてしまった手前、また伏せることもできず、私は渡されたタオルで顔を拭いた。気分は晴れないままだけど、ほんの少しだけさっぱりしたような、そんな気がする。

「ん、ちょっとはマシになったわね。じゃ、ヒナ。そこに正座っ」

 お姉ちゃんが何を考えているのか分からなかったけれど、私はとりあえず、言われた通りベッドの上で正座をした。お姉ちゃんも座り直して、同じように正座になった。
 ベッドの上に正座して向かい合う二人。なんだか、とてもおかしな図のように思える。

「あのね、ヒナ。お姉ちゃん、ヒナを慰めなきゃいけないと思うの」
「……うん」

 正直、慰めの言葉なんて欲しくはなかった。余計に辛く、悲しくなってしまいそうだったから。それでも、お姉ちゃんは私のことを思ってくれているのだから――私は小さく頷いていた。

「でもさ、悪いとは思うんだけど。私バカだから、なんて言葉をかければいいのか、分かんないのよ」
「……うん……?」

 もう一度頷きつつも、段々とお姉ちゃんが何を言わんとしているのか、分からなくなってくる。

「昔、友達が失恋して、やっぱり泣いちゃったんだけどさ。そん時は、ちゃんと出来たのよ。でも、今は出来ない。何でか、分かる?」

 私はふるふると、首を横に振る。

「ま、私にもよく分かんないんだけど。多分、あんたが私の……大事な妹だからよ」
「…………」
「やっぱ、色々と違うのよ。大事な妹だからこそ、何を言ってあげればいいのか分からないってわけ」
「……おねえ、ちゃん」

 不意に、止まっていた涙が、また溢れ出しそうになった。

「と、まあ、そういうわけだから」

 今まで真剣だったお姉ちゃんの声が、途端に柔らかくなった。いや、むしろ……軽くなったと言うべきか。
 お姉ちゃんは背に手を回すと、そこに隠してあったらしい何かを引っ張り出して、それを、どん、と私の前に置いた。

「えっと、お姉ちゃん。これは……」
「見て分かんない?」
「……いや、分かるけど。でも……」

 酒瓶、だった。ついでに、コップが二つ。

「いーい、ヒナ? ヤなことがあったらね、パーッと飲んで忘れちゃうのが一番。ヤケ酒よ、ヤケ酒!」
「……あの、私、未成年……」
「こんな日ぐらい、そんなの無視しちゃっても大丈夫よ。お姉ちゃんからの誕生日プレゼントだと思いなさい」

 そのムチャクチャな物言いに、私は呆気に取られていた。さっきまでの感動は、いったいどこに行ってしまったのだろうか。
 でも。

「さ、飲むわよー! 朝までだって付き合うからね、ヒナ!」

 それは、いつかの日にも私を救ってくれた、大好きな笑顔だった。








「結局、次の日は物凄く酷い二日酔いで身動き取れなかったのよねー」
「…………」

 ハヤテ君は、グラスのビールをチビチビと喉に流し込みながら、黙って私の話に耳を傾けてくれていた。

「それで、次にお酒を飲んだのは……二十歳の誕生日だったかな。お姉ちゃんを連れてちょっと高いお店に行って、一緒に飲んだの。いつか、ちゃんとした形でお姉ちゃんと一緒に飲みたいなって思うようになってたから……まあ、ちょっとした恩返しね」

 まあ、ハヤテ君が黙ってしまうのも分かる。彼にとっても、かなり気まずい話であったろうから。ハヤテ君は俯いているわけではなかったけど、私は極力、彼の顔を見ないようにしていた。恐いのかもしれない。

「それで、ちゃんとお酒を飲むようになってから知ったんだけどね。その“ヤケ酒”、すごく高いお酒だったらしくて。なんかもう、その時は泣けてきたわよ」
「……大事に思われていたんですね、ヒナギクさんは」

 ずっと口を閉ざしていたハヤテ君が、そう言った。私は、恐る恐る彼の顔を見る。飾り気のない、けれど綺麗な笑顔だった。

「……悪いわね、せっかく楽しく飲めてたのに、こんな話しちゃって」
「いえ、気にしないでください。しかし、その……二日酔い、だったんですか。すごく心配してたんですけど」
「ま、二日酔いじゃなくても多分行けなかっただろうから。っていうか、心配するぐらいなら最初からフッたりしないでよ」
「す、すいません」

 少しずつ、和気藹々とした雰囲気が戻ってくる。
 この雰囲気に乗じて、私は言ってしまうことにした。そうしなければ、私はどうやっても前に進めないような、そんな気がするから。

「ね、ハヤテ君」
「なんですか、ヒナギクさん」

 あの時と同じように声をかけて、あの時と同じように声が返ってくる。

「私、ハヤテ君が好き」

 あの時は、なんと言って告白しただろうか。長々と前置きをしていたような気もするし、大仰な言葉で愛を説いていたような気もする。
 でも、今は。ただ、私の気持ちをそのまま、言葉にした。
 ハヤテ君は少し驚いて、

「……ありがとうございます。僕も、ヒナギクさんのこと、好きですよ」

 そう答えた。
 彼もまた、あの時とは違う言葉。そして、私はその言葉に続きがあることを知っていた。

「でも」

 そう、でも、と続く。私には分かっていた。

「僕の言う“好き”と、ヒナギクさんの言う“好き”は……きっと、同じではありません。だから……ごめんなさい」
「……ん、そっか」

 あの時のような悲しさは無い。むしろ、清々しい気分でさえあった。
 この10年。きっと私は、心のどこかで期待していたんだと思う。あの時の返事はハヤテ君の本心じゃなかったんじゃないかっていう、ひどく自分に都合のいい期待。
 仮に、あの時ハヤテ君が私の気持ちを受け入れてくれていたとして……私達は、一緒にいることは叶わなかっただろう。そんな状況だったからこそ、私は告白しようと思ったのだから。
 ハヤテ君は、本当は私のことを好きだったのではないか、私のためを思って断ったのではないか、そんなみっともない期待を、自分でも気付かない内に抱いていたから……だから私は、この10年、ハヤテ君のことを吹っ切ることができなかったんだ。

「あははー、ごめんね、こんなこと言っちゃって。さっきはああ言ったけど、私、実はお姉ちゃん以上にだらしなくて。常日頃から酔っ払ってるもんだから……気付かなかったのよね、薬指のそれ」

 私は、おどけて言ってみせる。
 そう。最初から、分かっていた。

「……すみません、ヒナギクさん」

 ハヤテ君は、少し顔を曇らせた。いつまでも彼にそんな顔をさせていたくなくて、私はことさら明るい感じを心掛けて、話を続ける。

「謝らないで。むしろ、ようやく本当に失恋できて、感謝してるぐらいなんだから」
「……ありがとうございます」

 ハヤテ君は、小さな笑みを浮かべた。

「さ、もっと飲みましょ。今日はまだ大丈夫なんでしょ?」
「ええ、とことん付き合いますよ」
「そう来なくちゃ。おじさーん、鶏の唐揚げと枝豆追加ねーっ」

 はいよー、と声が返ってくる。
 ハヤテ君はなぜか、どことなく複雑な表情を浮かべていた。

「なによ?」
「いえ……さっきの話を聞く限り、ヒナギクさんがこうなってしまったのは……僕のせいなんだろうなぁ、と」
「まるで今の私じゃダメみたいな物言いね」
「いや、そんなことないですよ! 昔にも増してお綺麗になられましたし! きっとモテるんだろうなぁ!」

 何とかして誤魔化そうとしているのがバレバレだった。
 その様子がおかしくて、つい、からかいたくなってしまう。

「残念なことに、まっっっっったくモテないのよねー」
「うぐ」
「というか、年齢=恋人いない歴ってさすがにヤバいと思うのよ。そうは思わない? ファーストキスだってまだなのよ、私」
「そ、それは……その……」

 たまに、自分で「ああ、酔ってるなぁ」と強く感じる時がある。今がまさに、その状態だった。視界はしっかりしているから、まだまだ大丈夫だとは思うけど……その内、わけのわからない無茶なことを言い出してしまいそうな気がする。

「それもこれも……全部、ハヤテ君のせいよ!」
「ええっ!?」

 ほら、やっぱり。
 でも、あながち間違いでもないような気がする。私の方にも多分に問題があるのは確かだけど。

「そ、そう言われましても……」
「これはもう、責任取ってもらわなくちゃ」

 酔った勢いで出た言葉に乗じて、今度はしっかりした私の意志で、言葉を紡ぐ。責任、なんて大袈裟な言葉に、ハヤテ君が戦々恐々としているのが見て取れる。

「せ、責任ですか」
「ええ。ハヤテ君には、責任取って――」

 断られたらどうしよう。そんな不安とは、もう無縁だった。

「――これからも。たまに、こうやって……一緒に飲んでもらう、ってことで」
「……へ?」

 何を言われるかと身構えていたらしいハヤテ君は、拍子抜けしたらしく、なんとも間抜けな顔をしていた。

「嫌なの?」
「あ……いえ、僕でよければ、喜んで」

 すぐに、笑顔に変わる。私もきっと、心からの笑顔を浮かべているだろう。





 ああ――今宵の酒の、なんと格別なことか。

タイトル第6回批評チャット会ログ
記事No48
投稿日: 2008/03/31(Mon) 01:15
投稿者双剣士
参照先http://soukensi.net/ss/
3/30(日曜)に開催された、批評チャット会のログを公開します。
今回も熱い批評が交わされました。今回は雪路愛好家のLenさんが
雪路登場シーンにとりわけ着目していたのが強く印象に残りました。
いつしか執筆技術よりもキャライメージの比較の話に入ってたりして…
…まぁ、面白いからいいか。

http://soukensi.net/odai/chat/chatlog06.htm