「明日は私の誕生日なのですよ」 それは1月31日の昼下がりのこと。ビデオ・タチバナに遊びに来たシスター・ソニアは、カウンターに頬杖をついて 小首を傾げながら橘ワタルに向かって微笑みかけた。 「ワタル君と出会ってからほぼ1年になることだし、プレゼントとか買ってもらえたら嬉しいな〜って。たとえばほら、 エルメスのティーカップとか」 「はぁ?」 対するワタルの視線は、まるで珍獣を見る目のようだった。彼は貧乏ではあってもケチではない。知り合いの誕生日と 聞けばプレゼントのひとつくらい買ってやってもいいのだけど……こうもずうずうしく催促をされては、意地でも買って やるもんか、という反骨心が芽生えるのも思春期の少年としては無理からぬこと。 「なんでオレがシスターに、そんなの買ってやんなきゃなんねーんだよ」 「えっと、そこはほら、2人が出会った記念というか思い出の証というか……」 「だいたいエルメスなんて、庶民のオレに手が届くわけねーだろ」 「じゃ、じゃ、ホワイトデーにくれるお返しの前払いとか! 前払い得意でしょ、ワタル君」 「ちょ、大きな声で言うなって!」 奥の陳列棚でDVDの整理をしているサキの耳に入らないよう、ワタルはシスターの手を引いてカウンターに顔を寄せた。 「だいたいそんな、誕生日に値段の張るプレゼントをもらえるなんてのが都市伝説だっての! 勘違いすんなよな、もう」 「え、だってワタル君のお友達はみんなお金持ちで、山登りできそうなくらいのプレゼントを毎年もらってるんでしょう? ワタル君だって元々は財閥の御曹司……」 「そんなんじゃねーっての! この際だから聞かせてやるよ、俺の悲惨な誕生日の思い出をな……」
年若くしてワタルを生んだ母親は、自分の息子にほとんど関心を示していなかった。仕事で世界中を転々とする橘グループ 総帥の祖父、そして夫婦バラバラに世界を飛び回っている両親に構ってもらえないワタル少年の養育は、祖父の雇ったメイド たちに一任されていた。 「ワタル坊ちゃん、ほら皿洗いの次はお部屋のお掃除ですよ!」 「まぁ、またドアの上面のほこりを拭き忘れて! 何度お教えしたら分かるんです、ワタル坊ちゃん!」 壮年のメイド長は財閥の幼い御曹司を甘やかしたりはしなかった。肉親の庇護に頼らなくても一人前に生きていけるよう、 将来部下を動かす際に人の痛みの分かる総帥になれるよう……それは彼女なりの英才教育であったのだろう。しかし良くも 悪くも、彼女は手を抜くことを知らな過ぎた。 「あの、僕もクラスのみんなみたいに、誕生日パーティとか開いて欲しいんだけど……」 「なにを甘えてるんですの! お客様に祝福してもらえるのは、お客様をおもてなし出来る器量を備えた方だけです! ワタル坊ちゃんには早すぎます」 「……はぁい」 のちに橘グループが没落してワタル少年の両肩にその再建が託されることを、このときメイド長が予見していたかどうかは 定かでない。だが少年がメイド長の教えに感謝するようになるのは数年先のことだった。ワタル少年にとって誕生日とは パーティともプレゼントとも無縁な、単に暦上の年齢が1つ増えるだけの日に過ぎなかった。 そんなある日、目覚めたばかりのワタル少年のもとにアメリカにいる母親からの電報が届けられる。 『ワタル君、今日はお誕生日だったよね。元気にしてる? カジノで1万ドルあてちゃったから、プレゼントの代わりに送ります。 何でも好きなものを買ってね』 「……1日遅いよ、お母さん……」 アメリカにいる母親は、息子との間に横たわる日付変更線の存在を失念していたのだった。
「うぅ、なんて羨ましい……」 「なんでだよ! 突っ込むのはそこじゃねーだろ!」 話を聞いて涙を流すシスター・ソニアに、13歳になったワタルは声を荒らげた。陳列棚にいたサキが驚いて 身をすくめるのも構わず。 「だってだって、1万ドルもらえたんでしょう? ウハウハじゃないですか、買いたいもの何だって買えるし」 「ガキだったころのオレに1万ドルの価値なんてわかんねーよ。使ったら負けな気がしたし無駄遣いはメイド長が許して くれなかったから、定期組んで毎年積み立ててる。3千円くらいは利子ついてんじゃねーかな」 「あぁ、なんてもったいない……」 せっかくの現金収入を銀行預金に当てるなど、人生の修羅場をくぐってきたソニアの常識では考えられない。溜め息を ついたソニアは本題に戻った。 「でも、やっぱりワタル君はお金持ちの子なんですよ。悲惨な誕生日といっても、とても私の比では」 「はぁ?」 「今度は私が話してあげます。本当に貧乏で悲惨だった、心の底からプレゼントに憧れる女の子のお話をね……」
ソニア・シャフルナーズの生まれた家はシチリアに根を張ったマフィアだったが、お人よしで才覚に欠けるソニアの父が 跡目をついで以来、没落の一途を辿っていた。ボスの家の一人娘として生まれたソニアを取り囲む部下たちの数は年々減って いき、彼女の誕生日に贈られるプレゼントの数も年々減っていった。 「これだけ?」 「申し訳ありません、お嬢」 ある年の誕生日。ソニアにプレゼントの包みを差し出したのは、父の側近といわれた5人衆のうち最後に残った2人だけ だった。礼を言って受け取りはしたものの、寂寥を禁じえないソニアは寂しそうに問い返した。 「パパは?」 「さぁ……ボスは最近、何かを探してるように姿を消すことが増えてきてまして」 「あなたたちはパパを追いかけないの?」 「何かと人手不足でして……」 頭をかく部下たちから目をそらすソニア。すると玄関のドアが激しい音を立てて開き、1人の男が転がり込むような勢いで 屋敷内に飛び込んできた。すわ、襲撃か?……と部下たちが一瞬身を固くしたところ、泥まみれになった顔を上げたのは……。 「遅くなってすまんな、ソニア」 「パパ?!」 ぱりっとしたマフィアのボスらしい威厳とはまるで無縁なソニアの父親は、庭師らしい服装を青い草だらけにしたまま 娘の前に歩み寄ると、すっと緑色の草を差し出した。 「ほら、四つ葉のクローバーだ……パパが6時間もかけて裏山から見つけてきたんだぞ。これをペンダントに入れて大切に しなさい、お前の将来に光があらんことを」 「……あ、ありがとうパパ、大好き!」 ソニアはしばし逡巡した後、泥まみれの父親の首に抱きついた。部下たちの見ている手前、父親に恥をかかせるわけには 行かなかったから。
「……普通にいい話じゃねーか」 「娘さん思いのお父さんだったんですね」 「ちょ! なんでそんな反応になるんですか、クローバー1本きりですよ1本きり!」 期待通りの同情を示してくれないワタルとサキに対し、ソニアは噛み付くように大声を上げた。 「そりゃ父は、アイスの当たり棒を偽造するくらいしか思いつかないセコい小悪党でしたけど……一人娘の誕生日くらい、 もっと奮発してくれてもいいと思いません? たとえば美術館から盗み出してきた宝石とか、細工師に特別に作らせた アクセサリーとか」 「そんな無理して張り込んだプレゼントより、娘のために一生懸命探してくれた四つ葉のクローバーのほうが……」 「なぁ、シスター。あんた純真だった子供の頃のほうが幸せだったんじゃねーの?」 ワタルに痛いところをグサグサ突かれたソニアは精神的に5歩ほど後ずさりをした。だがここでひるんではエルメスの ティーカップはもらえない。セコいながらもプレゼントをくれた彼女の父親は、もうこの世の人ではないのだから。 「いいでしょう、もっと悲惨だったお誕生日の思い出を話してあげます。ワタル君には想像も出来ない、世間の底辺の話をね……」
日本に渡り父親に先立たれて身寄りを無くしたソニアは、教会でシスターとして働くことになった。 「Merry Christmas!」 「A Happy New Year!」 極東に流れ着いたとはいえ世界宗教の支部、巡り来るイベントには事欠かない。敬虔さとは無縁だったマフィアの娘も、 イベントのたびに信徒たちの世話を割り振られて忙しさで寂しさを忘れる日々を送っていた。信徒たちの誕生日のたびに 催されるパーティにも何度か協力したりした。 ……だが彼女は神に仕える身。他人の幸福を祝うことはあっても、自分個人の記念日を他人に祝わせるなど許される はずもない。他人のために身を粉にして働いていていたソニアはある日、もう何年も自分の誕生日を祝ってもらってない ことに気づいて愕然とした。これではマフィア時代にも劣ると。 《……だめだわ、神様を信じて頼るのはいいけど、縋ってばかりでは私には何も残らない》 ある意味これが、ソニア・シャフルナーズが真に目覚めた瞬間といえるだろう。ソニアは以前にもまして教会の外に出て、 勤労や奉仕に尽力した。骨惜しみしない親切なシスターの仮面をかぶりながら、行く先々で小銭集めを繰り返した。 教会という閉鎖空間に比べれば外界は稼ぎどころの宝庫といってもいい。無料奉仕という建前を教会には報告しつつ、 それでも感謝する人たちから差し出される浄財を積み重ねていくソニア。誰一人不幸にならずにお金が貯められるのだ、 何を遠慮することがあろうか。 そんな彼女が13歳の誕生日を迎えたのは、とある教会で出張奉仕しているときのことだった。 「シスター!」 「シスター! お誕生日おめでとー!」 養護施設で世話をしている子供たちが手に手にロウソクをもって駆け寄ってくる。思いがけない小さな乱入者に驚いた ソニアは、すぐに目的を悟って笑顔の仮面をかぶった。 「まぁ、ありがとう。私のお誕生日を覚えててくれたの?」 「うん。でもごめんねシスター、僕たちケーキとか買えないから、ロウソクを13本もってくることしか出来なくて」 「いいのよ、祝ってくれる気持ちだけで」 《ロウソクなんか食べられないし、売ったってお金にならないけどね》 心の中のつぶやきを顔には出さず、ソニアは子供たちの掲げる13本のロウソクに火をともして回った。すると1人の少年が 叫び声をあげる。 「あ、ごめんねシスター、13本って不吉なんだよね。じゃこれ、追加」 「……あ、ありがとう」 1本追加されて14本になったキャンドル。シスター・ソニアは笑顔を絶やさずにかぶった布の位置を直した。 年増扱いされてピクピクと震えるこめかみの皺を隠すために。
「……素敵な誕生日じゃないですか」 「そうだよな。つーか子供がくれたロウソクを食べるの売るのって、シスター汚れすぎなんじゃね?」 「な、なんでですか、十分に悲惨な過去だとは思わないんですか?」 「いや、全然。子供の気持ちを金額でしか量れないなんて、どっちかってーと恥ずかしい過去なんじゃねーの?」 ちっとも同情してくれないワタルとサキ。当ての外れたソニアが狼狽するのをよそに、2人は話の流れをそらしていった。 「なんか、シスターって聞けば聞くほど贅沢な生活してるよな。オレもサキも、お互いの他に誕生日を祝ってくれる奴なんか いないってのに」 「そうですね。私のお母さんもおばあちゃんも、電話1本よこしませんし」 「まーいいや、とりあえず忘れずにいてくれる人が1人いれば、人間やっていけるって」 「若……(ぽっ)」 目の前で夫婦漫才が始まろうとしている。ソニアはあわてて割り込んだ。 「ちょっと待って! なにそれ、あなたはワタル君からプレゼントもらってるの? ずるいずるい、だったら私にもエルメスを!」 「い、いや、プレゼントったって安物だよ、エルメスなんかじゃないって」 「でも……成人式のときの振袖、すごく嬉しかったですよ♪」 「ふりそで! ジャパニーズドレス! 1着で家1個買えるって言う超高級品じゃないですか!」 「そんなんじゃねーって! 安物安物、そりゃオレにとっちゃ20万は大きかったけどさ……」 「20万! エルメス買えるじゃないですか! 私にもくださいよ、ワタル君!」 「だからなんでシスターに……」 激高したシスターに防戦一方のワタル。だがそこに、頬を赤らめた天然メイドさんの呟きが横槍を入れた。 「でも……プレゼントって、高いか安いかじゃ、ないですから。若が私のために選んでくれたってことだけで、私には十分で……」 「うっ……」 「サ、サキ……オレは別に、そのぉ……」 冷や水を浴びせられたように口ごもるシスター・ソニアとは対照的に、ワタルの顔は風呂上りのように赤くなった。
そして翌日。白皇学院から下校するワタルの前に、楽しそうな表情のソニアが姿を現した。 「ワ〜タ〜ル〜君! 今日は私のお誕生日ですよ、プレゼントを買いに行きましょう!」 「ちょ、その件は昨日断ったじゃねーか。だいたいオレにエルメスなんて……」 「そんな贅沢は言いませんよ。私も心を入れ替えたんです。大切なのは気持ちなんだって」 見違えるように明るくなったシスターは、大胆にワタルの左腕を抱きかかえると商店街に向かって引っ張り出した。 「100均で可愛いマグカップを見つけたんですよ。それで十分ですから」 「え、100均のカップでいいの? そ、それはいくらなんでも……」
高価なのをねだられるのは困るが、女性のプレゼントが100円玉1個というのも男子のプライドにかかわる。 そうやって『プレゼントを買う』前提で考え始めた時点でワタルの負けは決まっていた。 結局ワタルはこの後、100均に入りたがるソニアを引きずり出して商店街の雑貨店に入り、2000円のカップを 買ってやることになる。ソニアは頬ずりせんばかりに満足していたものの、サキに対する秘密を新たに抱えたワタルの顔は どんよりと曇ることになったのだった。
Fin.
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