(注)この物語には竹崎君という生徒が登場しますが、彼はオリジナルキャラではなく 原作196話(10/15発売の少年サンデー掲載)に登場した公式キャラです。
------------------------------------------------------
それは黄金週間という長期の休みを目前にした4月末の出来事。 人気のない体育館裏で、1人の男子生徒が女性教師を相手に情熱的な告白をしていた。 「好きです、先生! 僕とお付き合いしてください、いえもういっそ結婚してください!」 「あ、あのぉ、竹崎君、そういう笑えない冗談は……」 「冗談なんかじゃありません! 僕は先生のこと真剣に愛しているんです! 先生は僕のこと嫌いですか? 前髪で目を隠したエロゲ主人公みたいな男はメッタ刺しにされて死んじまえなんて、そう思ってるんですか?」 「そうじゃないけどさ……」 ほとばしる熱意にぐいぐいと押し込まれて、女教師は困ったように銀色の髪をボリボリと掻いた。
世間一般の常識に違わず、白皇学院は教師−生徒間の恋愛を禁止している。なにかと生徒にちょっかいを出す 元凶が理事長本人だと言う困った事情はあるにせよ、勤務する女教師が理事長と同じことをしていいわけではない。 学年主任である天才女教師がそうしたように、立場の違いを盾にして生徒の想いを袖にすることが教師側には 求められる。そのことは彼女も承知していた。 そう、分かっているつもりなのだが……。 「男と女ってのは、互いに足りないものを補い合っていくものだと思うんですよ! 美貌もスタイルも教養も 人望も戦闘力も手にしている先生にとって、足りないものは何です? お金でしょう? 僕、そっちの方面では 自信があります!」 《……うぅっ……》 少年の主張は女教師の弱点を的確についていた。高校も出てない若造の分際でと突っぱねることは出来ない。 白皇学院は国家や企業を動かし世界を牛耳る家柄の子弟ばかりを集めた名門中の名門校であり、そこの生徒とも なればポケットマネーだけで女教師の月給やボーナスを軽々と超える。そして女教師のほうは、月給では足りずに 金策に駆け回る日々を毎月毎月繰り返していたのだから。 《彼の告白を受け入れてしまえば学校はクビになるだろうけど、彼は喜ぶし私もハッピーになれる、これって Win−Winの関係よね?》 困り果てた表情の裏側で、三十路を前にしたオンナのズルさが顔を出す。 《別に恋人がいるわけじゃなし……純愛だロマンスだと夢見ていられる歳でもないし……歳の差は確かに 問題だけど、こっちが先に手を出したわけじゃないしね》
女教師の沈黙を好機と見て取った少年からの熱烈アプローチは、なおも続く。 「世間の目を気にするなんて先生らしくないですよ! 汚名は僕が全部被ります、先生のご家族にも頭を下げて 回ります! それでも居心地が悪いようなら高校なんて中退したっていい、一緒に外国にでも行ってほとぼりを 冷まして来ればいいんですから!」 《……確かに》 少年の言葉には一理ある。女子供を外国に連れてくことも出来ない男に未来なんてない、そう宣言したという 別の少年の噂が女教師の脳裏に浮かんだ。先生と生徒と言う立場にさえ目を瞑れば、目の前の少年は実に男らしく 頼り甲斐のあるプロポーズをしてくれている。これは不毛な生活を続ける自分の前に垂らされた一条の蜘蛛の糸 じゃないかしら? チャンスは他人の目の前からでも奪い取れ、そう心に決めて8千万円をかき集めた昔の私 だったら、迷ったりなんかしなかったのに。 「どうですか、先生? 愛してくれなんて言いません、最初はお金目当てだっていいんです。僕とお付き合い してくれませんか?」 「あなたの気持ちは嬉しいんだけど……」 もはや口先だけの抵抗に過ぎないことは、彼女自身よく分かっていた。
「……? どうしました、先生?」 「……え? う、ううん、なんでも。素敵なお店よね、ここ」 「そうでしょう! 僕のお気に入りなんですよ、恋人ができたら最初はここに来ようって前から決めてたんです」 結局はっきりした拒絶はできず、そのまま少年に連れて来られた都心一等地の超高級レストラン。まぁ生徒と 食事に出るのは校則違反じゃないし……自分に言い訳をしながらリムジンに乗せられた女教師は、レストランの メニューに書かれたゼロの数を見て一瞬だけ意識を飛ばしかけた。 「あ……水をもう一杯……」 「かしこまりました」 「遠慮なんてしないでくださいよ、先生! 僕の甲斐性を見てもらうためにここに来てもらったんですから。 ドンペリでも何でも好きなだけ注文してください」 「あ、あの、気持ちは嬉しいんだけど……生徒の見てる前で酔っ払うのは、やっぱり、ねぇ?」 頭の片隅でちいさなシグナルが鳴っている。心にもない言い訳を口にしながら、女教師は瞳だけを動かして 店内を見渡した。たしかにお金があればって日頃から思っては居たけれど、これって何か……違う気がする。 「そうですか、それじゃ無理にとは言いません……ほら、アレ頼む」 「かしこまりました」 少年の指示によって料理酒と食前酒のブランドが1ランク引き上げられたことなど、店内を見渡していた 女教師は知る由もなかった。
そして1時間後。最高級ワインの大判振舞いでぐでんぐでんに酔っ払った女教師の耳に、少年の声が催眠術の ように染み渡る。 「どうです、先生? いい気分でしょう?」 「いいわぁ……なんだか魔法にかかったみたい……」 「僕とお付き合いしてくれれば、こんな気分が毎日だって味わえるんですよ。素敵だと思いませんか?」 「うん、そう……素敵ね……」 さっきまで鳴っていたシグナルはもう聞こえない。美味しいお酒と舌のとろけそうな豪勢なお料理、思う存分 飲み食いしても誰にも文句を言われないしお財布の心配をしなくてもいい生活……何の不満があるって言うの、 と脳内の天使が背中を叩く。こんな好条件を棒に振ったら女に生まれた意味なんてないでしょ、学校が何よ 立場が何よ、この若さでもう十分に苦労してきたじゃない。そろそろ誰かに身を任せたっていいんじゃない……?
そんな夢見心地で陥落寸前の女教師の心に一石を投じたのは、少年の不用意な発言だった。 「そうだ、次は生徒会長を……ヒナギクさんにも一緒に来てもらいましょう! 先生の心残りは大切な妹さんの ことなんでしょう? あの人だったら上流階級のレディーとして何の不足もないですよ、新しい世界にヒナギク さんも招待してあげます!」 「ヒナを……?」 そのとき酔っ払った女教師の脳裏に浮かんだのは、生徒会長として辣腕を振るう凛々しくも頼もしい妹の姿では なかった。両親に蒸発されて泣きたいのをこらえながら自分の袖を引いていたヒナ、お誕生日なのにプレゼントを 買ってやれない自分の背中で美味しそうに飴玉をしゃぶっていたヒナ……そんな光景が頭の中でフラッシュバックし、 きらびやかな超高級レストランの内装との間に暗くて深い断層が走る。さっきまで忘れていたシグナルがいきなり 耳をつんざくほどに鳴り響いた。論理的思考などとっくに手放している女教師の脳味噌の奥で、訳の分からないまま 憤怒の炎が燃え上がった。 「それが本音ね?! あんたの目的はヒナなんでしょう、私はただの口実ってわけ!」 「え、先生、何を言ってるんですか? そんなの誤解ですよ、僕はただ純粋に……」 「うっるさぁぁ――いっ!!! 女を酔わせて言いなりにしようなんてとんだ悪人だわ、あんたなんかにヒナは 渡さないんだから!」 「違いますって、いきなり何を……」 「だああぁあっ!!」 女教師は酔いに任せてテーブルを豪快に蹴り上げた。超高級レストランの静謐な空間においてスープとお皿と ワインが宙を舞い、お皿の割れる甲高い音がそれに続いた。周囲の客からの悲鳴と軽侮の視線に少年がおろおろと する中、女教師は昂然と胸を張りながら仁王像のように立ち尽くしていた。
「ああああ、バカ、バカ、私のバカ!」 当然ながら少年のリムジンに家まで送ってもらえるはずも無く。超高級レストランから叩き出された女教師は、 ハイヒールを手に提げながらフラフラと夜の街を歩いていた。肌寒い街中を歩くうちに酔いがさめた彼女の胸を、 死んでしまいたいほどの後悔が鋭くえぐる。あんなチャンスもう二度とないかもしれないのに、なんてバカなこと したんだろう。 「もったいない事しちゃったなぁ、お金持ちをゲットするチャンスだったのに……あーあ、これでまた赤貧生活に 逆戻りかぁ……」 「あれ? どうしたお前、こんなとこで」 「ん?」 不意に声をかけられて振り返った先には、紙袋を抱えた幼馴染の同僚の姿があった。超高級レストランとは 縁もゆかりも無いヤツだけど、なんだかんだで昔からお酒をおごってくれるし、もうすぐヨーロッパ旅行にも 連れて行ってくれる貴重な金づる。荒れていた女教師の表情がぱっと花開いた。 「ちょうどいいとこで会った! なになに飲みに行くの? なら連れてってよ! そしておごってよ!!」 「お、お前!! ていうか酒くせーじゃねえか!!」 「うん!! さっきまで超高級なワイン飲んできたの♪」 「なんでそんな奴におごんなきゃいけねーんだよ!!」 口喧嘩しながらも同僚の手を引いて安酒場に向かう女教師の心は、さっきまでの後悔が嘘のように晴れ渡って いた。やっぱりこうでないと調子出ないわよね。だってこいつにたかってる分には、私ちっとも胸が痛まないんだもん。
Fin.
|