この物語は、東宮康太郎が白皇学院2年生に進級する直前の出来事です。 したがって彼はまだ新しいクラスメートのことを知りません。そのつもりでお楽しみください。
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「野々原! イギリスに執事留学に行くって、本当か?!」 その日、父さんから衝撃の事実を聞かされた僕は、すぐさま執事の野々原の部屋に駆け込んだ。 荷物の整理をしていた野々原はいつもどおりの自信たっぷりな笑顔で頷いた。 「ええ、旦那様からようやくお許しをもらえまして。私も高校を卒業したことですし」 「すぐに撤回しろ! お前は僕の執事だろ、僕を独りぼっちで置いていく気か?」 僕の名は東宮康太郎。東宮財閥の後継者として、将来の世界に君臨し愚民どもを指先ひとつで動かす ことになる選ばれし人間だ。 しかし今は学生の身で、将来あるべき支配者としての力量にいまだ達していない。ライオンの子供と いえども生まれたばかりのうちはオオカミの群れに狙われる定めだ。将来立場がひっくり返ることに対する 愚民たちのやっかみに囲まれて、現在の僕は本来手にして当然のはずの栄光も部下も人生の伴侶もないまま 学院内で孤立している。野々原は当然そのことを知っている。 これは僕が悪いんじゃない、支配者になる人間が一度は通る通過儀礼みたいなものなんだ。だからこそ 今の僕には護衛役が必要なんだ。野々原はそのために僕のそばに居るんじゃなかったのか? 「これもひとつの機会とお考えください。私が手を引っ張っていては、坊ちゃんはいつまでも一人前になれませんから」 「なっ、僕が一人になるのを百も承知で、イギリス留学を決めたって言うのか? そんなのは許さないぞ!」 野々原は事あるごとに僕に怒鳴ったり叩いたりする嫌なヤツだけれど、それでも野々原が道を切り開いて くれるお陰で僕は学校での自分を見失わずに済んでいる。桂さんを追って剣道部に入る時だって、あいつが 尊大な先輩たちを黙らせてくれたせいで僕は頭を下げずに堂々と入部することが出来たんだ。 そう、あいつは僕の右腕そのものであり、僕に尽くすためにこの世に存在してる男なんだ。何かをする ときに右腕を使ってるからって胴体や頭がサボってるわけじゃないし、軟弱で不器用な胴体だなんていわれる 筋合いはない。そもそも右腕が胴体を離れてどっかに行くだなんてありえないじゃないか。右利きの人間に 右腕なしで戦えなんて、そんなハンデをなぜ僕が背負わなきゃならないんだ。 「坊ちゃん……」 野々原の目が潤み始めた。いいぞ、僕の言うことを分かってもらえそうだ。僕は野々原に頼りきってる 訳じゃない、野々原を手足としてごく当たり前に使っているだけなんだ。そのことを真剣に言い聞かせて やれば、きっと執事留学だなんて馬鹿な思いつきを撤回して……。 「ゴラァーーッ!!」 と思ったとたんに野々原の顔が般若に変わり、振り下ろす竹刀が僕の脳天を直撃した。な、なんだ、 いきなり何をするんだ野々原!
「坊ちゃん、私が坊ちゃんのそばを離れる理由は、その自分勝手な考え方を改めてもらうためです」 「自分勝手とはなんだ! 僕は大器晩成型なんだ、じっくり長期的に育てていこうという心遣いが お前にはないのか!」 僕の正論を上っ面の建前論で次々と切り捨てていく野々原。そうやって執事に頼ってばかりいるから 桂さんや女顔執事に馬鹿にされるんだ、誰かに守られるのはそろそろ卒業してほしい、逆に誰かを守って やれるような強くて勇気のある男になってほしい、などなど……どこかの教育論に出てきそうな建前ばかり。 当然僕は納得なんてしない。 「無茶を言うな、赤ん坊に100メートル10秒台で走れだなんて、いくら言い聞かせたって出来るわけないだろ!」 「……ご自分が赤ん坊並みの無能力者だってことは、お認めになるわけですね」 「違う! どんな英雄や天才でも成長途中の段階では凡人に負けることもあるって言ってるんだ! そこで挫折して自殺したりしないようにフォローするのがお前の役目だろ!」 「高校2年にもなって、なに自分探しのニートみたいなこと言ってるんですか……」 野々原は大げさに溜め息をついた。 「いいですか坊ちゃん。100メートル走や剣道の腕はともかく、同じ学校の誰一人として友達を作れない ようでは世の中を渡っていくことなんて出来ませんよ? 私がそばにいると坊ちゃんがその痛みに気づかない ようですから、こうしてそばを離れようとしているんです」 「友達なんか……いらない。僕は支配者になるんだ、仲のいい友達なんかいなくても周囲が服従してくれれば それでいいんだ」 「腹心の部下とか相談相手なども、全部お金と権力で買い取るつもりですか?」 「それのどこが悪い? 世の中なんてどうせ友情じゃなく利害関係で動くんだ、非情に振舞えるほうが 有利に決まってるじゃないか」 「あぁ、ここまで根の深い問題だったとは……」 野々原は頭を抱えてうずくまった。そして怖い表情で顔を上げると、いきなり僕の喉元に竹刀の先端を 突きつけた。 「坊ちゃん、これは執事としてではなく年長者としての命令です……私がイギリスに旅立つ前に、一人で いいから友達を作りなさい」 「なにを馬鹿なことを。だいたいあの学院には僕に釣りあうようなやつは誰もいないじゃないか、偏屈な 成金の子弟ばっかりでさ」 「偏見も大概になさい。坊ちゃんと同様に財閥の御曹司として生まれながら、ボーイフレンドやガール フレンドに囲まれて元気にやってる少年がいますよ」 そんなマンガみたいなやつがいるもんか、という僕の反論に野々原は答えた。 「しかも彼は没落した実家を自分の力で建て直すため、自分のお店で働きながらコツコツと小さな努力を 積み重ねているそうです。飛び級で高等部に進級したという話ですから勉強もおろそかにはしてない でしょうね……どうです坊ちゃん、お金や権力がなくたって、逆境に耐えてたくましく生き抜こうとしてる 同級生がいるんですよ。その子の爪の垢でも飲んでいらっしゃい!」
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「……あそこか」 野々原に言われて嫌々向かった先には、高層ビルに挟まれる形でこっそりと営業している小さなビデオ レンタル店があった。財閥御曹司の復興をかけた店というからもっと豪勢でエレガントなものだろうと 想像していた僕は拍子抜けをした。 《なんだ、野々原のやつ大袈裟だな。この程度の店であくせく働いてるようなやつが、僕なんかと友達に なれるわけないじゃないか》 きっと野々原の思い過ごしだろう、わざわざ会いに行く価値なんてあるわけない……そう判断して 背を向けようとしたその刹那、ビデオ屋の扉から出てきた男女を見かけて僕の眼は釘づけになった。 《あれは……桂さんにちょっかいを出してる忌々しい借金執事と、引きこもりクイーンじゃないか!》 二人は店の脇で目を見張る僕のことに気づく様子もなく、楽しそうにおしゃべりをしながら店を後に していく。すると彼らと入れ違うかのように、白皇学院の制服を着た3人の女子が駆け寄ってきて ビデオ屋のドアをくぐった。 「やっほー、ワタルく〜ん♪」 「今日もいいブツがそろってますぜ、部長」 「なんかこの店、中毒性があるな。正規版も海賊版も、テレビ録画の分まで寄り取り見取りだし」 いかにも楽しげにビデオ屋に入っていく3人。あれは確か、桂さんと一緒に生徒会をやってる3人じゃ… …とおぼろげな記憶を辿っていると、その記憶を決定づける第6の人物が現れた。 「こんにちは、ワタル君。久しぶりに前を通ったので様子を見に来たんだけど」 《あ、あれは幻の生徒会長、別の学校ならエルダー選出間違いなしとうたわれてる霞愛歌じゃないか!》 わが校の有名人たちが次から次へと、何の変哲もないビデオ屋の扉を明るい表情でくぐっていく。 その誰一人として、店の傍に立っている僕の方に注意を向けたり挨拶をしてきたりはしない……彼我の 戦力差をまざまざと見せつけられた僕は生徒会の女の子たちがビデオ屋から去った頃を見計らい、 悔しさを押し殺して胸を張りながらビデオ屋の中へと乗り込んだのだった。
「頼もう! 貴様が橘ワタルか、僕の名は東宮康太郎だ! 聞いて喜べ、今日からお前を僕の友達にしてやる!」 「はぁ?」 正々堂々たる僕の宣言に、素っ頓狂な返事を返す橘。ふっ、驚くのも無理はない。いかに財閥出身とはいえ、 僕のような真のセレブに声をかけられることなんて想像したこともなかっただろうからな。 「聞こえなかったのか? この僕が、お前を、友達としてそばに置いてやると言ってるんだ。お前のような 貧相なやつに野々原の代理が務まるとは思えないが……」 「あー、無理だろうな。つーことで俺の方からお断りだよ。こう見えても忙しいし」 「なになに、謙遜することはない。僕の左腕として身を粉にして働けばこのボロ店にも光明が……って、 え、断るって?」 「仕事の邪魔だから帰ってくんね?」 な、なんということだ。この僕がこれほどの譲歩をしているというのに、こいつときたら取りつく島も ない態度でシッシッと片手を振っている。何を考えてるんだ、選ばれし僕の放つオーラが見えないというのか? 「ところで、あんた誰?」 「最初に名乗っただろうが、僕は東宮康太郎だ!」 「そーじゃなくてさ、なんで俺なんかに目を付けたわけ? よりによってさ」 僕はこんこんと説明した。自分が白皇学院の同級生であること、将来は世界の支配者になる人間で あること、その側近として働くのがどれほどの名誉かということ……ところが橘は後半の話に耳を貸す 様子もなく、僕の話が一時途切れたタイミングで言葉の槍を投げ返してきた。 「あー、そういやナギから聞いたな。借金執事に勝負を挑んでおいて楽なナギの方に目標を変更し、 生徒会長さんにボコボコにされたヘタレ素人がいるって」 「なっ……!!」 ぼ、僕の評判はそんな形で流布されていたのか! 唖然として言葉を失った僕に対し、もう興味を失った様子で書類の整理を続ける橘。なんて失敬で非礼な やつだ、こんなやつのどこに沢山の友達を引き付ける要素があるってんだ……そんな風に首をかしげた、 ちょうどその時。 「きゃ〜〜(どたばた、がっしゃん)」 「あぁもう、サキのやつ……」 店の奥の方から何かが倒れる音が響く。橘は軽く頭をかくと、席を立って店の奥へと向かった。 謝罪も訂正もされないまま自分の前を去っていった橘の背中を、僕は信じられない心持ちで見送りかけて……。 「ま、待て! まだ話は終わってない!」 「あ、まだいたの、あんた……これでも結構忙しいからさ、さっさと帰ってくれよ」 「なにぃ?!」 なんたる暴言、なんたる傲慢。僕は憤懣やるかたない気持ちで橘の後を追った。そこで目にしたのは……。
「いたたた……す、すみません、若ぁ〜」 「ほらほら泣くなって。怪我はないか、DVDは割ってねーか?」
すごく綺麗なメイドさんが床に座り込んで、崩れたディスクケースの山に埋もれている。橘はそんな メイドさんを叱る様子もなく、気遣うように手を差し伸べると自分まで一緒になって散乱したディスクの 整理を始めた。 「お、お前……」 失敗した使用人の後始末を主人が手伝うなんて、という反発がまず最初に頭に浮かんだ。しかしそれを 口に出す前に、橘とメイドさんとが交わす視線の温かさに気づいた僕は……埃で真っ黒になりながら メイドさんと一緒に汗を流す橘のことを、なぜか格好いいと思った。失敗したくせに楽しそうに橘の手伝いを しているメイドさんのことを、すごく羨ましいと思った。そしてそんな二人の醸し出す雰囲気に割り込むのが 妙にためらわれた僕は、結局あいつに何も言わないまま小さなビデオ屋を後にしたのだった。
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自分の家に戻るまでに考えをまとめた僕は、帰るとすぐに野々原の部屋へと向かった。 「野々原! 聞いてくれ、僕に足りないものが分かったよ」 「やっとお気づきになられましたか、坊ちゃん!」 「そうさ、野々原がそばにいちゃダメだって言った理由がよく分かった! なんで今まで気づかなかったんだろう!」 嬉しそうに出迎えてくれる野々原に、僕は堂々と胸を張って宣言した。
「僕に足りなかったのは……可愛いメイドさんだったんだよ!」 「ゴラァーーッ!! ゴラァーーッ!! ゴラァーーッ!!!!」
な、なぜだ野々原、なぜ怒るんだ? ひょっとして僕が間違ってるって言うのか、教えてくれ、野々原ァァ〜〜!!!
Fin.
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